核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

新藤通弘「最近のコスタリカ評価について若干の問題」(『アジア・アフリカ研究』2002年第2号Vol.42, No.1 (通巻364号))

 Ciniiには登録されていなかったので、下記サイトから参照させていただくことにしました。後日、『アジア・アフリカ研究』該当誌を探すことにします。

 http://www.japancostarica.com/Sindo/index.htm

コスタリカといえば、「軍隊をすてた国」。平和主義者あこがれの非武装中立国というイメージがあるわけですが(私も含めて)、そうした既成概念に一石を投じる論文です。
 名目上は「市民警備隊」と呼ばれる組織がロケット発射器90ミリをもっている(←出典は示されていませんでした)など、日本の警察などより重武装であること。
 1980年代のモンヘ政権が、アメリカのニカラグア侵攻を支持・協力するなど、その中立性に疑問が持たれること。
 軍備を撤廃したにも関わらず、その予算が生活水準や社会保障の向上に反映されていないこと。
 ・・・などから、「コスタリカを、以上述べた問題を抜きにして、「軍隊をすてた平和・積極的中立国家、模範的民主主義国家」と描くことは、歴史的事実に反するし、脱階級史観的な見方といわざるをえない」と新藤氏は結論づけています。
 コスタリカを美化するのではなく、実態を正確に見た上で評価しなければならない、という趣旨には賛成です。ただ、上記の結論の末尾および、「コスタリカ社会にも民族的、階級的諸矛盾が存在するのであり、それらを史的唯物論の立場から見ることが重要であることをわれわれに教えているのではないであろうか」という論文のむすびの一節を読むと、逆に新藤氏の側にも、「史的唯物論」のバイアスがあるのではないかと勘繰りたくもなります。もう少し各方面からの情報を集めてみることにします。
 特にパナマはじめ周辺諸国は、なぜ軍隊を持たないコスタリカを侵略しなかったのか?親米政権だったというだけで説明がつくものかどうか。