核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『春秋左氏伝』 その2 平和会議の舞台裏

 向戌(しょうじゅつ)の提唱した平和会議のため、各国の要人が宋に集まります。
 とはいえ、長年にわたって攻めたり攻められたりを繰り返してきた各国、特に晋・楚二大国の垣根は高いものがありました(物理的に)。

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 みなみな生け垣を作って陣を設け、晋の組と楚の組が分かれてたむろした。(略)
 宋の西門の外で盟いが行われようとしていた。楚の人は服の下に甲を着けている。
 (略。楚の令尹子木が言うには)
 「晋と楚がたがいに不信であることは久しい。利が第一だ。望みが遂げられさえすれば信義など用はない」
 (竹内照夫訳『中国古典文学大系2 春秋左氏伝』平凡社 1968 293~294ページ)
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 さすがにこうした振る舞いは諸国の反発を買い、会盟は晋の叔向(しゅくきょう)が先導する流れになり、どうにか流血を見ずにまとまります。
 「利が第一」の時代ではありますけど、春秋時代はそれと同時に「礼」と「詩」の時代でもありまして、言葉の力で武力衝突を避けられた実例も(少しは)あるわけです。この会議はうまくいった例のようで、後世の仲尼(孔子)もこの宴礼では美しいことばづかいが多く示された、と言っています。『詩経』も一緒に図書館で借りるべきでした。
 共通の言語文化遺産があればこそです。ジャパニメーションとかゲームはその代わりにならないものでしょうか。