核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

福地桜痴を罵倒する夏目漱石

 昨日はつい福沢諭吉の悪口を書いてしまいましたが、対する福地桜痴が欠点のない人物だったかというと、そんなこともないわけで。色々とやらかしています。批判すべき点も、実際に批判されることも多い人物です。
 以下、菅原健史『明治の平和主義小説』にも引用した、夏目漱石書簡の一部より。
  
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  (一九〇六年)二月六日 野村伝四宛
 福地桜痴の幕末記事は今売つてるかね。いくらでどこに売つてるか教へてくれ給へ。桜痴といふ人の逸話を読んだがあれは駄目な人間だ。然し当人は余程えらいと思つてる。生前は可成有名でも死ねばすぐ葬られる人だ。一寸学校の成績はよくても卒業して駄目になると同じ事だね。然しあんな浅薄な人間でも人から大にもて囃されるのだから殊に女から屡惚れられるのだから妙なものだね。そうなると女に縁が遠い程えらい人といふ訳だな。
 岩波書店漱石全集 第二十二巻』一九九六 四六一ページより 
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 …小山文雄『明治の異才 福地桜痴』(中公新書 1984 212ページ)や、飯田鼎「福地桜痴福沢諭吉 : 『懐往事談』と『福翁自伝』をめぐって」(『三田学会雑誌』 82(4), 669(1)-693(25), 1990-01)などでは、この書簡を無批判に引用して、もって福地の評価に直結させています。生前の名声しか得られなかった福地と、死後不朽の名声を得た福沢諭吉という対比の図式で。
 私としては、不幸な誤解だったと思うのです。漱石が噂や逸話集ではなく、福地の文章そのものを読んでいたならば。西洋文明の弊害に悩み、生きるか死ぬか維新の志士の如き覚悟で文学をやってみたいと考えていた漱石ならば、あるいは福地の目指したところを理解できたかも知れないと思うのです。

 (2018・6・12 全集の巻数が間違っていました。お詫びして訂正します)