五七五だ。それはともかく。
文学を平和のために役立てる、というのが私の研究方針です。
それはプラグマティズム(実用主義)だとか、不純だとかいう批判はあるかもしれませんが、不純でもいいと私は思っています。文学とは人類が人類自身について考察してきた巨大なアーカイブ、叡智の集積であり、それを役立てない手はありません。
対象は、戦争を扱った文学に限りません。物語論を引くまでもなく、最初から最後まで完全な平和状態を扱った文学作品はむしろまれであり、多くは平和な日常の破綻から、ふたたび平和が回復するまでを描く文学です(平和が破綻したまま終わる文学も多々ありますが)。
私が扱ってきた作品でいえば、遅塚麗水の「電話機」や谷崎潤一郎の「小さな王国」、川端康成の『浅草紅団』は、どう見ても反戦文学ではないのですが、平和な日常がいかにして失われるか、を描いた作品です。そうした文学からも、平和はいかにして失われるか、ふたたび平和を取り戻すにはどうしたらいいかを学ぶことができる、と私は思います。
……といったようなことを理論化して、平和主義批評というべき文学理論ができないものでしょうか。