核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

なぜ「どのように戦争を止めるか」を問うのか

 与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」は、単体でなら天皇批判と取れなくもないのですが。

 「天皇批判ではないか」と大町桂月に問われた晶子は、それを否認する「ひらきぶみ」の中で、詩の真意をこう答えてしまいます。

 「このいくさ勝てと祈り、勝ちて早く済めと祈り」

 「君死に」の反戦詩としての価値さえ、台無しにしてしまう発言です。

 自国が勝って戦争が早く済むよう祈るのは主戦論者も同じであって、反戦論でも何でもありません。「どのように戦争を止めるか」を欠いた厭戦家がいかに頽落するかの好例です。

 話は飛びますが(カラスだけに?)、宮沢賢治「烏の北斗七星」に描かれた「戦うものの内的感情」も、「君死に」と同様の頽落に陥っています。率先して山烏をつつき殺すような大尉に、戦争を止めてくださいと祈られたところで、マジエル様も困惑するばかりでしょう。

 そんなわけで、「どのように戦争を止めるか」についての思考は、反戦論者にとって不可欠であると思うのです。