核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

幕末の民主主義者、赤松小三郎の構想が先進的すぎる

 幕末の年表を読んでいて、赤松小三郎という人物をはじめて知りました。

 以下、ウィキペディアの「赤松小三郎」の項より。

 

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 慶応3年(1867年)5月17日には前福井藩主・松平春嶽に対して「御改正之一二端奉申上候口上書」[1]という建白書を提出した[2][7]。また同じく5月に同様の建白書を薩摩藩島津久光にも提出している。

この建白書の中で赤松は、定数30人の上局と定数130人の下局からなる二院制の議会(赤松の訳語では「議政局」)政治を提唱した。上局は貴族院に相当し、その議員は、朝廷と幕府と諸藩の融和の象徴として、公卿と諸侯と旗本より30人を「入札」(選挙)によって選出される。下局は衆議院に相当し、その議員は、藩をいくつか束ねた選挙区から数人ずつ、「門閥貴賎に拘らず道理を明弁し私なく且人望の帰する人」130人を、「入札」によって「公平に撰󠄀むへし」とされた。これは、身分や財産にとらわれない普通選挙による議会政治を提言した文書として、日本最初のものである。「国事は総て此両局にて決議」とされ、議会は国権の最高機関と位置付けられている。議会の決議事項に対しては、天皇ですら拒否権を行使できないと規定されている。

建白書の中では、内閣総理大臣(赤松の訳語では「大閣老」)以下6人の大臣を議会が選出するという議院内閣制度も提言されている。

他の項目では、主要都市に大学を設置し全国民への教育機会を提供すること、すべての人民を平等に扱い個性を尊重すること、農民に対する重税を軽減し他の職種にも公平に課税すること、金貨・銀貨を国際的なレートに従って改鋳し、物品の製造にあわせ通貨供給量の拡大を計ること、最新鋭の兵器を備えた上、必要最小限の兵力で陸軍(およそ2万8000人)と海軍(およそ3000人)を建設すること、軍人は庶民からも養成し士族の割合を徐々に減らしていくこと、戦時には国中の男女を民兵とすること、西洋から顧問を迎え入れ各地に諸物製造所を設け産業を振興すること、肉食を奨励し日本人の体格を改善すること、家畜も品種改良すること、などが建白された。

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 ……平和主義者ではないようですが、陸海軍は必要最小限の兵力で、というあたりは斬新です。

 こういう人物が明治維新を待たずに、中村半次郎らによって暗殺されてしまったのは惜しむべきです。