核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『佳人之奇遇』中の日清戦争反対論

 『佳人之奇遇』は国権小説であるというのが定説で、全体のトーンは実際その通りなのですが、細部については疑ってみる必要がありそうです。「日清戦争に反対する言説はなかった」という定説も。

 「天下の人心日に益激昂し、或は主戦論を新紙上に主張するものあり、或は平和策を演説壇上に説くものあり」という時勢。以下は平和策の「客」の発言。

 

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 古人言はずや、兵は凶器、戦は危事なり。戦を好めば自ら焚け兵を佳むは不詳なり。今夫れ戦端を開かんか、我数十万の壮者は海外に暴露し、数千万の老幼は、徴発に疲れて飢寒に倒れん。此時に当りて、欧の強国間隙に乗ずるあらば之を如何すべき、

 春陽堂『明治大正文学全集 第一巻』 一四五頁 

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 ……これに対して散士の「一畏友」は、「子は唯平和の貴ぶべきを知て、未だ用武の更に利なるを知らざるなり」と反論します。良医が重病に劇薬を用いるように、「真正の和平」を得ようとすれば、戦争という劇薬を用いねばならないと。

 作者の意は「一畏友」の戦争容認論にあったのでしょうが、私としてはそう論じねばならなかった背景として、「平和策」が存在したという事実に興味をひかれます。

 作中の年代(伊藤博文らしき大臣が清国訪問した時期のようです)および、刊行年代が気になるところです。調べておきます。