核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

柳瀬善治「「戦う女」・「演説=議論する女」・「慈愛の女」 雑誌『台湾愛国婦人』収録講談速記の女性表象」

 『植民地文化研究 : 資料と分析』 ((19), 199-212, 2020)掲載。

 題名には「福地桜痴」とも「女浪人」とも書いていないのですが、同作品に注目した論文です。

 同論二〇三頁にあるように、『台湾愛国婦人』誌の講談「愛国婦人」は、福地桜痴『女浪人』をトレースし、そこにイデオロギー的には真逆の幕長戦争の物語を接ぎ木したもの、だそうです。

 以下、『愛国婦人』ではなく『女浪人』についての、これはと思った論述を引用。

 

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 「演説=議論する女」のミソジニーによる忌避は、二〇一九年の気候変動問題をめぐるグレタ・トゥーンベリのパフォーマンスに対するネット上の反応にもみられるように、いわばアクチュアルな問題であり、この忘れ去られていた『女浪人』というテクストはコロナウィルス流行下の排他と分断が巻き起こる二〇二〇年という〈現在〉に召喚したときに、時代を超えたアクチュアリティを持つ。(二〇五頁) 

 「戦う女」・「演説=議論する女」としての「お信」のアクチュアリティは、「融和」「慈愛」のイデオロギーから奪還されなければならない。「戦うこと」「議論すること」、それはなによりも幕末維新期にも似た、政治不信と偽りの「融和」「慈愛」とパンデミックとが世を覆う〈現在〉において最も必要な発想であり姿勢のはずである。(二一〇頁)

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 グレタさんもあの涙ながらの演説当時、ネット上でモンスターの名前にかけて「グレタ・トンベリ」とか呼ばれてました。男性社会の「演説=議論する女」へのミソジニー(女性蔑視)は根深いものがあります。森喜朗氏に限ったことではありません。

 そんなわけで、『女浪人』はもっと広く読まれてほしいものです。入手困難な『愛国婦人』と違って、デジタルコレクションで無料で読めますので。