従来の小林秀雄本は、「小林は戦争に協力しなかったから偉い」という論調がほとんどです(そして、それは菅原(2020)によって否定されました)。
が、中野著の独自性は、「小林は戦争に協力したから偉い」という主張にあるようです。嫌な時代になったものです。
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小林はあの戦争を悲劇あるいは運命として受け止め、反省を拒んだことは、すでに述べた。悲劇・運命が自由の条件であるというのが、小林の自由論である。ならば、あの戦争は、自由の条件だったとでも言うのか。
その通りである。
(一三六頁)
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……これに類する記述は多々あります。文学者による反戦論を「安っぽい」と退け(一二八頁)、「戦争に対して団結するというのは、確かに国民の「智慧」と言うべきであろう」(一一〇頁)と一人合点するような記述は。
中野著は自由をリバティーとフリーダムに二分し、小林のいう自由はフリーダムであること、それは戦争下においても(むしろ統制された戦争下でこそ)実現することを強調しています。
前回引用したハイデッガーの「総統万歳と叫べる自由」論と変わりない、実存主義まがいのくだらない議論です。
だいたい小林秀雄は、「時来れば喜んで銃をとる」とは書きましたが(「戦争について」)、実行しませんでした。『高見順日記』によれば、終戦の日、小林と林房雄は安全な鎌倉で、両名とも酔っぱらっていたそうです。一般国民は米の配給さえ苦しい時期に。フリーダムです。