核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

連帯と孤独の間で。あるいは精神的エアコン

 私は学校や会社の空気がどうにも苦手な社会不適応者で(軍隊は論外です)、一時期はフーコーディシプリン論なんかに凝ったりもしたのですが。

 学校や会社は、社会にとって必要な組織です。そしてそれらの組織を維持するためには、ある程度上から圧力をかけて、連帯を強要しなければならないことも、理屈ではわかります。ですが、その圧力と連帯の強要が、どうにも生理的に耐えられないのです。程度の差はあれ、同感の方もいらっしゃるとは思います。

 かといって、組織を離れて完全な孤独に陥っては、人は生きられません。夏目漱石『行人』の長野一郎は、妻や弟にさえ理解してもらえない孤独に耐えられず、「死ぬか、気が違うか、それとも宗教に入るか」の三択にまで追い詰められます。これも程度の差もあれ、共感できる方もいらっしゃると思います。

 暑苦しい連帯と、寒々しい孤独の間で。精神的なエアコンというか、圧力調整装置のようなものが欲しくなるわけです。二つの不快の間での、かろうじて快適な空間を作り出す装置。文学がその役割を果たせればいいのではないかと、私は考えています。