核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

三大定番を教えたくない

 森鴎外舞姫』。侵略主義の提唱者山県有朋を、「天方伯」と呼び、服従する話。

 夏目漱石『こころ』。自分の汚い裏切りを「明治の精神」などと美化する話。

 芥川龍之介羅生門』。悪人への悪、悪人への悪への悪、生き延びるための悪なら構わないという話。

 私としては、これらの作品を子供に教えたくはありません。仮に教えるとしたら、こういう作家は間違っているんだよ、山県有朋明治天皇は偉い人なんかじゃないんだよ、と教えるでしょう。その結果入試合格率は激減し、私はくびになることでしょう。

 それでも私は鴎外や漱石や龍之介を、文豪と讃える形では教えたくないのです。私がこれまで国語教師にも塾講師にもならずにきた理由はそれです。

 もし万一、大学入試と無関係に、文学を教えられる機会を与えられたとしたら。

 『舞姫』や『こころ』や『羅生門』はダメな文学だと、まず教えたいものです。

 出世や恋や利益のために、他人を犠牲にしてはいけないことを。

 それは文学ではなく道徳の授業ではないかと、反論もあるかも知れません。しかし私はきれいごとを教えたいのではありません。きれいごとというなら、「天方」伯や「明治天皇への殉死」こそきれいごとであり、嘘です。

 良心を捨てるか否か、人生にはぎりぎりの選択を迫られる局面があることを認めた上で、上司や恋人や生活苦に屈してしまうのではなく、それらと「渡り合う」文学もあること、そういう文学こそ人生を本当に豊かにすることを教えたいのです。

 たとえば『舞姫』と同じ年に書かれた福地桜痴『仙居の夢』は、山県有朋を闇雲伯と呼び、その甥の権力に、非暴力的に「渡り合う」ヒーローを描いています。同じく福地桜痴の、日露戦争の前年に書かれた『女浪人』は、明治天皇を筆頭とする、戦争や暗殺を引き起こす男たちを批判し説得するヒロインを描いています。

 そういう作品を使って、おのれの良心を捨てず、他人を犠牲にすることもなく、社会と非暴力的に渡り合っていく生き方を、教えたいものだと願っています。