「無差別爆撃」という言葉はよく使われますが、東京大空襲の場合はどうでしょうか。
とりあえずウィキペディアより。これも近いうちに資料にあたります。
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1945年5月25日の空襲では、今までアメリカ軍が意図的に攻撃を控えてきた皇居の半蔵門に焼夷弾を誤爆してしまい、門と衛兵舎を破壊した。焼夷弾による火災は表宮殿から奥宮殿に延焼し、消防隊だけでは消火困難であったので、近衛師団も消火にあたったが火の勢いは弱まらず、皇居内の建物の28,520 m2のうち18,239 m2を焼失して4時間後にようやく鎮火した。御文庫附属庫に避難していた昭和天皇と香淳皇后は無事であったが、宮内省の職員ら34名と近衛師団の兵士21名が死亡した。
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意図的に攻撃を控えてきた場所に、一発だけ誤爆したんだそうです。むしろ差別爆撃というべきでしょう。
私は「戦争継続を主張する元首は死んでもいい」などというつもりはありません。戦争で死んでもいい人間など、元首も含めて一人もいないのです。
しかし、死者十万人を超す大空襲で、よりによって元首にだけは「攻撃を控えてきた」という事実には(そりゃ、交渉相手がいなくなったら困るのはわかりますけど)、戦争の理不尽さを感じずにはいられません。