『コレクション 戦争と文学 別巻 〈戦争と文学〉案内』(集英社 二〇一三)中の論文、紅野謙介「太平洋戦争前後の時代―戦中から占領期への連続と非連続」にはこうあります。
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四二年には日本文学報国会が結成され、大半の作家組織はここに集約された。
(略)運営資金はすべて内閣情報局から出された。
しかし、実際にそこで生まれた文学がどこまで読者の支持を集め、読者を熱狂的なファシストに変えたかと言えば、はなはだ心ともない。プロレタリア文学運動ほどにも文学の市場は広がらなかった。
(八二頁)
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わが意を得たりです。いわゆる文学者の戦争協力なるものが、戦争に「協力」できたなんてのは過大評価もいいところで、むしろ税金のむだ使いだったのではないか。
私のとぼしい見聞(おもに小林秀雄関連)でも、文学を軍部に熱狂的に売り込みたがっているのは小林秀雄らの側であって、軍部(平出英夫海軍大佐)はむしろ乗り気でなさそうな態度を示しています。
活動資金が貴重な税金で賄われた点を見ても、戦争「協力」なんてのは文学側の思い上がりで、実態は戦争「便乗」、国家のお荷物だったのではないかと思うのです。
だからといって、戦争に関わった者たちの罪が軽くなるとも思いません。