核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

内田樹「マルクス再読」(白水社のサイトより)への批判

 内田樹という方は哲学者と称しているそうですが、非論理的な文章を書く方です。

 内田樹「マルクス再読」 - 白水社 (hakusuisha.co.jp)

 より抜粋。今回は引用部分が長い上に、私とは真逆の意見なので、いつもの「※」印に加えて、引用箇所は文字の大きさを変え斜体でお送りします。

 

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 カンボジアでは、かつてマルクス主義者を名乗ったクメール・ルージュが三〇〇万人の同胞を殺した。インドネシアでは、一九六〇年代に愛国者を名乗る人々がインドネシア共産党の支持者一〇〇万人を虐殺した。(略)
 中国共産党はその出自においてはマルクスレーニン主義を掲げていたが、毛沢東主義、鄧小平の先富論によって大きな解釈変更を受けた。今の中国を「マルクス主義国家」だと信じている人は(中国共産党員を含めて)どこにもいないだろう。事情はマルクスレーニン主義を「創造的に適用」して「主体思想」を作り上げた北朝鮮についても変わらない。この両国ではマルクスについて語ることもマルクス主義者を名乗ることも、現在の支配体制に対する反抗と見なされるリスクを冒すことになる。

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 ……ここまでは事実なので同意。中国では毛沢東への回帰もあるようですが。

 
    ※

 この事実からとりあえず引き出せる価値中立的な命題は「マルクス主義は激烈な暴力を引き起こす」ということである。マルクス主義の名においてふるわれた暴力とマルクス主義に対してふるわれた暴力は、近代史を徴する限り、他のいかなる政治思想をも圧倒している。マルクス主義ほど多くの人を怒らせた思想は他にない。これはたいした達成と言わねばならない。

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 不同意。なにが「たいした達成」なんでしょうか。イスラム原理主義だって、それぐらいの暴力は「達成」しています。

 

    ※

 それはマルクス主義がそれだけ「根源的な」思想だということを意味している。良くも悪くも、マルクスの思想は私たちの思考の枠組みを土台から衝き動かす。その衝撃によって私たちの日常的な理非適否の判断基準は覆され、無効を宣される。だから、賛否いずれの立場からであれ、ことマルクス主義がからむと、人は隣人を告発したり、家族を憎悪したり、友人の死刑宣告に同意署名したりできるようになる。なぜ「そんなこと」ができるのか、私にはいまでもよくわからない(よせばいいのにと思う)。ともかく、「そういうこと」が起きるのは、マルクス主義が生活者の倫理を停止させられるほどに「根源的」な思想だからである。
 私自身は生活者的常識の中で暮らしているし、これからもその中で暮らしたいと思っている。そしてそれゆえにこそマルクス主義がどうしてこれほど圧倒的な影響力を持ちうるのか、マルクス主義に対する憎しみがどうしてこれほど桁外れのものになりうるのかについてつねに興味を抱いている。高校生の頃から興味があり、いまも興味を抱き続けている。興味を抱く必要があると思っている。それはマルクス主義についての自分の考えを公表しても、とりあえずは警察による逮捕拘禁や「公許マルクス主義者」による異端審問を恐れなくてもよい社会に生きている市民の特権でありかつ義務だと思うからである。
 私たちが今享受しているこの「マルクスの本を読み、マルクスについて論じることができる環境」というのは世界史的には例外的に恵まれた知的環境である。同じ条件を望んで得られない数十億の人々がいまも地球上にいる。その事実を嚙みしめれば、「マルクスを読むのも読まないのも、俺の勝手だ」というような眠たい言葉は軽々に口にできないと私は思う。別に読まないのは構わない。「マルクスなんか知らないよ」と言うのももちろん結構である。でも、マルクスを読み、論じることが許されている世界でも例外的な自由を自分たちは享受しているということを知った上でそういう言葉は吐いて欲しい。
 マルクスを読む自由がこの先いつまで許されるのか、私にはわからない。マルクスの書物を所有しているだけで投獄される日が日本にまた来る可能性を私はゼロだとは思っていない。日本に強権的で非民主的な政権ができたとき、禁書指定リストの上位にマルクスの著作は必ず含まれているだろう。それはマルクスが人々にものごとを「根源的に思考する」とはどういうことかを教え、ろくでもない政治体制のろくでもなさを思い知らせてくれるからである。それだけでもマルクスはいますぐ手に取って読む甲斐があると私は思う。

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 ……ながながと引用しましたが(ここから核通の文章です)、論外です。

 ここで内田氏がマルクスについて述べている意見は、キリスト教原理主義イスラム原理主義にも、規模は小なりともオウム真理教にも、そのままあてはまることです。間違った思想の押し付けは虐殺を生む。それだけのことです。

 マルクスが数百万数千万の犠牲を生んだと承知の上で、マルクスを読めと他人様に押し付ける内田氏の無神経さは、誠実とは思えません。