英米文学が題材ですが、読んでみたい本です。
実は私(♂)も院生時代(2006年)に、「女同士の絆」という題のゼミ発表をしたことがありまして。
元ネタの理論書はもちろん、セジウィックの『男同士の絆』です。ホモセクシャルに対応するホモソーシャルが存在するなら、レズソーシャルも存在するんじゃないか、的なのりで、木下尚江(♂)作品中のレズビアン描写とその文学史的意義を論じたわけです。
2006年当時の私は「シスターフッド」も「レズビアン連続体」も知らず、村井弦斎(♂)の『釣道楽』は扱えなかったのですが、おおむね盛り上がったように記憶しています。結論は以下。
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三つの作品(引用⑤⑥⑦)はいずれも、女性同性愛を異性愛からの逸脱や異常性欲としてではなく、男性優位の異性愛に挫折した女性のための「神聖なる恋愛」として描いている。尚江のレズビアン表象への固執は、レズビアンを変態として興味本位に描くことではなく、むしろレズビアンの眼を通して異性愛・結婚制度の歪みを暴露・告発することにあったと思われる。
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まあ、同時代の小杉天外(♂)の『魔風恋風』での、女性同性愛を逸脱として描いたのに比べれば、進歩的だったのではないでしょうか。当事者でない♂がそういうのを描くのは越権だ、という批判はありえますが。