核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

穆雪梅 「『玉水物語』と「封三娘」(『聊斎志異』)の比較 ──影響関係に関する有無の再検討を中心に── 」

 ネットで「封三娘」を検索したら読めた論文です。発表媒体は残念ながら不明ですが、穆氏は『お伽草子における異類物の文学的意義 : 動物物を中心に』という博士論文を書いていらっしゃる方であり、この分野の専門家といえそうです。

 『玉水物語』は室町時代の物語で、梗概は以下の通り。

 

   ※

 一匹の狐が花園で姫君を見初め、恋におちてしまった。狐は人
間の男に化けて、自らの恋を成就させるのではなく、少女に化け
て姫君に仕えることにした。狐は姫君の幸を見届けるまで、その
側から離れることもなく、一途に姫君を慕い続け見守りを続けた。
最後は姫君に自分の正体及び姫君を見守る気持ちを述べ、姫君
の入内の日に姿を消した。

   ※

 

 『玉水物語』『封三娘』ともに、狐の本来のジェンダー(性別)は明らかにされていないのですが、同論文は両作品を「『玉水物語』「封三娘」は、雄狐が人間の女の姿になって恋する人間の女に近づくことで純愛を貫いた雄狐と人間の女との恋愛物語として理解できる」と結論なさっています。つまりレズビアン狐ではなくトランスジェンダー狐の物語であると。興味深く拝読しました。

 

 ・・・・・・ここから先は核通氏いわく。室町時代にも清代文学も素人の意見です。

 狐というものがもし、ジェンダーを自在に変えられる妖怪として設定されているとしたら、その「本来の性別」が雄狐か雌狐かを問うことは、物語内に明記されていない以上、不当なのではないかと。封三娘に化けた(あるいは性転換した)狐に「本質」がもしあるとすれば、「人間の女性として、人間の女性を愛したい」というセクシュアリティだけがその本質なのではないでしょうか。私としては『玉水物語』と『封三娘』相互の影響関係よりも、それら二つの作品を生み出した、同根の欲望のほうが気になります。

 私は『ジェンダー・トラブル』さえ通読していないので、LGBTQ方面に深入りはしないでおきます。