核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

出口智之「近代文学研究は近代「文学」研究で十分か?ー樋口一葉「十三夜」から考える画文学の試みー」

 『日本文学』2022年4月号。先月号になってしまいましたが、気にとめていたご研究です。

 画文学、つまり小説と挿絵を合わせて考察する試みです。江戸時代の作家は文章のみならず下絵も描いて絵師に回していましたが、明治以降の近代作家にもその伝統は残っていたとのこと。広津柳浪幸田露伴樋口一葉に、作者が挿絵に関与していた痕跡を探る試みです。現代の文庫本や全集本や電子書籍などでは省かれてしまう挿絵ですが、今後は画と文の学、画文学が必要なのではないかと。まったく同感です。

 実は私も、仮名垣魯文の『安愚楽鍋』をかじった時、出口論にも引用されている野崎左文の証言(絵が先で文章が後という工程)を読んだ記憶があります。

 私の『安愚楽鍋』論はけっきょく、あのウシとウマの対話部分の考証が、挿絵も含めてうまく進まずに凍結したわけですが、未練は残っています。

 次に思いついたのは、木下尚江『火の柱』。この作品は研究生時代に新聞初出を全文コピーしたものを、今でも大事に保存しているわけですが、挿絵のある小道具が気になって読み返したところピンポンでした。いずれ紹介します。