核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

平和主義を鍛えるハンマー

 昨日はつい他人事のように、偉そうなことを書いてしまいました。己の平和主義を鍛える必要があるのは他人様もさることながら、何よりもまず私自身です。

 柳瀬善治氏の「世俗的批評の〈神学的次元〉ー「9・11」・「複数の戦後」ー」(『日本近代文学』第66集 二〇〇二(平成十四)年五月)という文章があります。研究季評というレベルを遙かに超えた、全編極めて刺激的な考察に満ちています。

 その文中、小森陽一氏らの平和憲法論に疑義を呈した一節に、以下の一文があります。

 

   ※

 そして何よりも、平和を唱える倫理的基礎は果たして「憲法」によってのみ支えられるものだろうか。

 (244頁)

   ※

 

 かれこれ二〇年前の問題提起ですが、私はこれを同文末尾の、

 

   ※

 「武装した異教徒の市民に射殺されそうになったとき、人は何をなしうるのか」

 (248頁)

   ※

 

 とともに、この二〇年間考え抜き、己の平和主義を鍛えるハンマーとしてきました。

 前者については、日本国憲法制定以前にも存在した平和主義を研究の対象とし、博士論文『明治の平和主義小説』を公にすることで、自分なりの答えは出せたものと自負しています。日本国憲法九条はアメリカからの押しつけではなく、明治以来の平和主義者たちの努力の成果であると。

 後者の問いについては・・・いつか出す単著『戦争の止め方』で答えさせていただきます。必ず。

 以下は余談ですが、柳瀬論にはC・ムフの名も(あまりいい評価ではありませんが)出てきます。二〇年かけてようやく追いつけたようです。