西川長夫「代案(オルタナティヴ)について」(『戦争の世紀を越えて』)にはこうありました。
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幸徳秋水をはじめ、大逆事件で処刑された人々は代案をもっていました。大杉栄も伊藤野枝も素晴らしい代案をもっていた。しかしそうした人たちの代案は、それ以後の歴史をつうじて、現代にいたるまで、国民国家体制のなかで抑圧され続けていて、それを、感じ取る、あるいは再発見するわれわれの能力は非常に弱くなっているのではないか、オルタナティヴの問題を考えるときに、そのことは、ぜひ考えていただきたい。
(一四〇頁)
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私は大杉栄や伊藤野枝については不勉強ですが、幸徳秋水はかなり読んだことがあります。で、このたび『近代日本思想大系13 幸徳秋水』を読み返してみたのですが・・・・・・彼が大日本帝国という国民国家への代案を持っていたとは思えませんでした。
『帝国主義』や『社会主義神髄』といった代表作、さらには死刑直前の述懐を読んでも、革命が起これば世はよくなる、社会主義になれば国家はよくなるといった論旨で、国家を越える思考は読み取れませんでした。晩年は無政府主義にかなり傾倒していたのですが、政府なき世界のヴィジョンといったものも、語ってはいないようです。