核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ウォーラーステイン著 丸山勝訳『ポスト・アメリカ』(藤原書店 一九九一)

 一九八〇年代に書かれた論文をもとに、一九九一年に刊行されたこの本。

 

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 マルクスには(引用者注 マルクス・レーニン主義とは)他の解釈も成り立つ。そして今後数十年の間には、豊富な思考や応用が想定でき、おそらく実行に移されるであろう。それによって、マルクスが持つ基本的洞察と価値を具体化しうる新しいイデオロギー的コンセンサス、新しい科学的認識論、新しい歴史記述が得られる可能性がある。マルクス主義の流儀に従って、より民主的でより平等な世界の構築を可能にするような新しい止揚に至る可能性もある。

 (一六五頁 一九八九年秋との日付あり)

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 マルクスの未来は輝かしいと言わんばかりです。はたしてその後の歴史は。

 

 一九九〇年一〇月三日  東西ドイツが統一(ドイツ再統一)。

 一九九一年一二月二五日  ソビエト連邦が崩壊。その後「ロシア連邦」へ

 

 再来年とはいえソ連は崩壊しました。この初版本の刊行は一九九一年九月三〇日との奥付があります。三ヶ月後、著者や訳者はびっくりしたのではないでしょうか。『ポスト・アメリカ』という本を出したのに、実際に起きたのは逆の『ポスト・ソ連』だったわけですから(お若い方にはぴんとこないかも知れませんが、一九八〇年代以前の冷戦時代はアメリカとソ連が二大超大国でした)。

 そして「数十年」が過ぎた今、「マルクス主義の流儀に従って、より民主的でより平等な世界の構築を可能にするような新しい止揚に至る可能性」なんてものは、世界のどこでも実現していません。

 どうもアメリカ憎し、マルクス恋しの先入観が、ウォーラーステインの目を曇らせていたようです。

 未来予測とはこのように困難なものであることを、ウォーラーステインは自らの身をもって証明しています。私に言わせれば、だからこそ代案が必要なのです。

 「カサを持って行こう」という代案が、「天気は微妙」(つまり分岐点ですね)だが「降るといけないから」という最悪のシナリオ(これはウォーラーステインのような、自分にとってのみ都合のいい未来予測とは真逆のものです)に備えてのものであるように。ウォーラーステイン著にはそうした建設的な「代案」は絶無です。