ごく短い作品なので、あえて全文引用します。
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王となるか、王におつきの使者となるか、選択を申し渡されたとき、子供の流儀でみながいっせいに使者を志願した。そのため使者ばかりが世界中を駆けめぐり、いまや王がいないため、およそ無意味になってしまったお布れを、たがいに叫び立てている。だれもがこの惨めな生活に終止符をうちたいのだが、使者の誓約があってどうにもならない。
(六三頁 一九二〇年前後?)
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謎めいた短文ではありますが、今の私には、一次創作と二次創作について語っているように読めます(カフカの意図は知りません)。
シリーズの続編や二次創作ばかりが流行り、過去のヒット作を『シン・○○』と称して焼き直すような時代。誰かが、大人にふさわしい流儀で王を志願し、つまり大きな物語(リオタールというより大塚英志に近い用法ですが、まんざら無関係でもありません)を創造しないことには、サブカル業界も先細りは免れられないのではないかと・・・・・・。
東浩紀『動物化するポストモダン』『ゲーム化するリアリズム』を並行して読んでの、感想文ともいえない妄想です。
もちろん東氏は、大きな物語を復活しろなんてことは言っていません。「どうするか」については東氏は常に寡黙です。
焼き直しの『シン・○○』ではない、本質的に新しい物語を待ち望んでいるのは私のほうなのです。くれぐれも、『シン・マルクス』なんて妖怪が出てこないうちに・・・・・・。