核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

幸徳秋水の小説「おこそ頭巾」(一八九四 未読)

 近代デジタルコレクションでも読めないので、北川鉄夫『部落問題をとりあげた百の小説』より、孫引きの形で紹介します。

 署名は「いろは庵」で、『自由新聞』一八九四(明治二七)年十一月十八日から十二月七日まで連載。現在では『幸徳秋水全集』第一巻に収められているとのことで、たぶん私はそちらで読むことになるでしょう。

 以下、差別語を含む引用をお許しください。幸徳秋水や北川氏の意図が差別否定にあることは明白ですので。主人公が父の秘めていた出生を知るが意を決する場面です。

 

 「今まで知りませんでした。新平民の子、宜しうございます。心理からも平等の人間一匹、華族でも新平民でも何の高下、新平民結構です。王侯将相種あらんやです。私はこれからりっぱに新平民と名乗ります。宜しうございます」

 (『部落問題をとりあげた百の小説』五一~五二頁より、「おこそ頭巾」の一節を引用)

 

 十年ほど後に書かれる島崎藤村『破戒』の主人公と比べると、はるかにまともです。同時代の福地桜痴村井弦斎の、差別を扱った小説と比べても。

 北川氏は秋水のこの考え方は、師の中江兆民の民権思想をうけてのものと推論なさっています。私の中でも、幸徳秋水の評価が持ち直しました。

 「王侯将相いずくんぞ種あらんや」とは、『史記』に出てくる、秦の皇帝への反乱指導者が残したとされる言葉で、家柄や血統によって人間の価値は決まらない、といった意味です。王・侯・将・相ですが、もちろん皇帝も含むのでしょう。

 

 「