核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「汝」と書いて「な」と読ませる詩

 村井弦斎の代表作『食道楽』に、以下のような詩論があります。青空文庫様より引用。

 

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 「新体詩なんぞになんじと書いてナと読ませてナのおもかげとかナの姿とか読ませる。文字を見ずにただ聞くとはなが幽霊になったようだ。少年時代に散々困難した上大きくなって他人の意思を知ろうとするとまたまたこんな困難をなければならん。僕の如きはなるたけ人に解りやすく文章を書こうと思うのにわざわざ解りにくく書きたがる人がある。言語文章は意思を伝える道具だからなるたけ透明で解りやすくなければならん。硝子箱がらすばこへ物を入れたように中の品物が見えかねばならん。しかるに我邦の文章とか文学と言われるものは鉄板をかさりにしてある。エッキス光線かラジューム線でなければ中の品物を見る事が出来ないよ。アハハ」

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 この「汝」と書いて「な」と読ませる新体詩北原白秋の『第二邪宗門』に用例が見つかりました。

 

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 あはれ、あはれ、
このひでりつづかむかぎり、
飢渇きかつ癒えむすべなし。

 北原白秋「飢渇」(『第二邪宗門』所収)

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 日付は明治四一(一九〇八)年六月とあるので、一九〇三(明治三六)年の『食道楽』が名指しで北原白秋を批判したわけではありません。新体詩によくある表記なのでしょう。

 なおレントゲンがX線を発見したのは一八九五(明治二八)年、キュリー夫妻がラジウムを発見したのは一八九八(明治三一)年。文学論にも先端科学を持ち込まずにはいられないのが弦斎流。映画を「切支丹でうすの魔法」扱いする「邪宗門秘曲」をもし弦斎が読んだら、やっぱり「実に野蛮だネ」とつぶやいたでしょうか。