核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

発表資料 その5(結論部分)

5 まとめ―小林秀雄のどこに問題があったのか?
 
 引用17 森本淳生 『小林秀雄の論理―美と戦争』 人文書院 2002(平成14)年
 戦争を語る小林の論理は、彼の最良の文学的テクストをなりたたせているものと本質的には異なるところがない。(略)戦争にまつわる発言が自己の文学的探究と不可分であった以上、小林は自己批判を行おうにも行えなかったと言うべきかもしれない。それは自らの手で文学者としての自己を抹殺することに等しいからである。(略)われわれは小林秀雄を嗤うことはできない。
 
※「天才」と認定した人物を実証ぬきで無謬の偶像にしたてあげ、それに疑問を抱く者を無理解な愚物としてあざ嗤う、小林秀雄我が闘争」の論法は、「様々なる意匠」から『本居宣長』に至る全仕事に共通する。プロレタリア文学全盛期の「マルクスの悟達」で、「マルクスエンゲルス、レニンと三人の天才」を讃え、「私には弁証法唯物論の真理は自明とみえた」と宣言し、レーニンに批判された科学者マッハを「贋物」と執拗に貶めたのは典型的な例である。しかし戦後の湯川秀樹との対談では、「アインシュタインは最初にマッハの影響を受けて、その実証主義の立場から相対性原理を言い出した」との発言に「おっしゃる通りなのです」と同意し、「唯物論と称する観念論的哲学」を「でたらめ」と嘲笑している。彼は決して「反省なぞしない」のである。ヒットラー観の変遷は一回性の失敗ではなく、必然的な帰結であり、反省と実証を欠いた小林秀雄的批評が続く限り何度でも繰り返されるであろう。
 
 引用18 江藤淳 『作家は行動する 文体について』 講談社 1959(昭和34)年
 彼はまた決して批評家ではない。なぜなら批評家は価値をあたえるものであるが、小林氏はモツァルト、ゴッホドストエフスキイといったすでに価値をあたえられた「天才」たちをいじりまわすだけであるから。ごく通俗的にはこのような人間を俗物と呼び、事大主義者と呼ぶ。(略)このような行為を「批評」と呼ぶとき、真の批評は決して育たない。小林秀雄氏のエピゴーネンたちはこのことを実証しているであろう
 
 ※1940年以前の段階でこうした徹底的な批判が出ていれば、小林秀雄の影響はより少なくおさえられたであろう。しかし、『小林秀雄』(1961)以降の江藤淳はこの批判を撤回し、自らも小林秀雄の典型的なエピゴーネンとなった。戦後66年を経た今日でも、小林秀雄的批評が強い影響力を持つことは、本発表の「1」に引用した、実証を欠いた小林論の数々が示している。
 
 結論 アウシュビッツ特別攻撃隊のごとき蛮行を繰り返さないためには、文学研究者は小林秀雄的批評と決別し、批判精神と実証精神を持ち、社会への責任を自覚しなければならない。