『ギリシア喜劇全集1』(平田松吾訳 岩波書店 2008)。図書館に返す日が迫ったので手短にまとめます。こんなタイトルですが、英雄叙事詩と呼べるかどうかは微妙な内容です。作者が作者だし。
アテーナイ市民デーモス(まんま「市民」を意味する名前です)にとり入って横暴の限りをつくす、悪党パプラゴーン。彼の魔手から主人デーモスを救うべく、二人の召使いがお告げに予言された救い手を捜します。そして現れたのは腸詰(ソーセージ)屋。
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召使い一 国民(原語でデーモス)を導くという仕事は、もはや教養ある人物向きでも、高潔な人物向きでもありません。それは愚かで図々しい人間にふさわしい仕事なのです。さあ、神託の中で神々があなたに示した絶好の機会を逃してはなりません。(略)
腸詰屋 お告げのことばは気分がいいが、どうすれば国(デーモス)を導くことが俺なんかにできるのかな。
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・・・おだてられて調子に乗った腸詰屋は、口汚さと人身攻撃を得意とするパプラゴーンに、それ以上の下品さと庶民の知恵で立ち向かいます。
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コロス(合唱隊。この劇では腸詰屋を応援する騎士たち) あのごろつきは、出くわしたのだ、もっとひどいあくどさと、手の込んだ計略と、人に取り入る弁舌で、自分をはるかに超えたもうひとりのごろつきに。
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・・・こうして腸詰屋はデーモスの目の前でパプラゴーンの悪事の数々を暴き、ついにデーモスに追い出されたパプラゴーンには自分の代わりに腸詰屋をやらせることにします(『二百十日』っぽい)。そして「パプラゴーンが隠しておいた、30年間の和約の乙女」を救い出して完。『平和』と同じパターンですね。
パプラゴーンが時の権力者、主戦派のクレオーンを指していることは諸説が一致しています(作中にはクレオーンの本名も出てきます。本人も最前列で観てたのに)。召使い一は手柄をクレオーンに横取りされたデーモステネースを、召使い二は信心深いニーキアースを擬しているそうです。もちろん彼らにふりまわされるデーモス氏はアテーナイ市民のみなさま。
問題は腸詰屋のモデルですが、解説にもふれられていないのです。紀元前424年の時点でクレオーンと敵対関係にあり、「あくどさと、手の込んだ計略と、人に取り入る弁舌」でクレオーンをはるかに超え、ニーキアースのようには信心深くなく、最後に唐突に明かされる本名はアゴラークリトス(アゴラーで口論して暮らしを立てていたもの)・・・。なんか特定できそうな気もするのですが、もう少し古代ギリシア語を勉強してからにします。