仮名垣魯文論が暗礁に乗り上げたというのに、手を広げていいのかという気はしますけど。
『明治文学全集』の解説を読んで、妙に気になった人です。
『和談三才図笑』は近代デジタルライブラリーにありましたけど、くずし字が読めるかどうか。問題は私のリテラシーです。
・・・一応、ciniiで検索したら、以下の翻刻がありました。次回の図書館紀行のお楽しみということで。
- 生年: 文政2 (1819)
没年: 明治23.8.30 (1890)
幕末明治期の草双紙合巻作者。本名は服部孝三郎。常陸国(茨城県)下妻藩井上家に出仕したが辞す。梅亭金鵞などと親しく18歳ごろより戯作者となる。日蓮上人の一代記『高祖朝日衣』(初編1850年),新時代の流行を風刺した『和談三才図笑』(1873年,地球自転説などの科学主義を否定),『日本女教師』(1874年,男女同権に反対)などの作がある。代表作である伝記『釈迦八相倭文庫』(初編1845年)は明治4(1871)年まで58編232冊が応賀ひとりの手で書き続けられた。長編合巻の多くが幾人もの作者によって書き継がれたことを思うと,このことは彼の学識と最後まで江戸の合巻作成の手法に徹した戯作者魂を証するものといえよう。
(本田康雄)