核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

鎌倉幕府最後の将軍、守邦親王

 鎌倉幕府が滅んだ時、最後の将軍(執権ではなく宮将軍)はどこで何をしていたのか。
 ふと気になって、ウィキペディアを覗いてみました。
 第九代守邦親王持明院統(後の北朝)の傍系で、大覚寺統(後の南朝)の後醍醐天皇とは、はとこ(祖父母の兄弟の孫)にあたります。24年9か月の在位の後、1333年の幕府滅亡を迎え、「得宗北条高時が5月22日に自刃すると、同日に守邦親王は将軍職を辞して出家し、年内に鎌倉で薨去した。」とのことでした。満32歳で没。
 後醍醐天皇側があたたかく迎えてくれるはずもなく、京に帰ることもかなわなかったのでしょう。なんか興味深いので、余裕があったらもう少し調べてみたいものです

 (追記 『国史大辞典』にも、ウィキペディア以上に詳しい情報はありませんでした。ひとまず調査は凍結とします)