核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

順調快調反戦論文

どうにか題名も固まり、序章と第一章を書き終えました。 第二章は先行研究が非常に多く、書きづらい分野ではありますが。 後回しにしてその次の章を書いたりしてます。

池田壽夫「過去の反戦文学の批判と今後の方向」

プロレタリア作家同盟機関紙『プロレタリア文学』第一巻第四号、一九三三年四月。 (2019・10・29追記 実物を確認したところ一九三二年四月の誤りでした) 小田切秀雄の「日本反戦文学史―素描」に名前の出て来た文献です。 頂戴したくなるような魅力…

「趣味の遺伝」は入れないことに

現在書いている論文は、矢野龍渓、与謝野晶子、福地桜痴、木下尚江、武者小路実篤、黒島伝治、小川未明といったラインナップを想定しています。 夏目漱石「趣味の遺伝」もちらっと考えたのですが、読み返してみて反戦文学とは言えないとの結論に達し、はずす…

高橋一行「反戦運動の思想的脆弱さ」(予告)

『カオスとロゴス』 (23), 113-122, 2003-06、とのこと。 ですが、国会図書館にはないみたいなので、他をあたるしかないようです。 今の私が読みたい(てか、むしろ書きたい)のはそういう論文なのです。 戦後の反戦運動・反戦文学がいかに、「戦争の悲惨な…

いっそカントっぽく

『反戦文学批判』にしようかと思います。今回の論文の題名。 もちろん、反戦文学を批判するからといって、軍国主義に寝返ったわけではありません。今考えているのは、赤熱した鋼鉄をハンマーで鍛えるように、反戦文学の質を鍛えなおす作業です。

手詰まり。

麦茶のおいしい季節です。 が、何杯飲んでも麦茶で頭がよくなる訳もなく、書けない書けないと苦しんでいます。 星一・賀川豊彦・武者小路実篤・小川未明といった反戦文学者たちは、なぜ第二次世界大戦の試練に耐えられなかったのか。そのあたりを書くことで…

戦争の分析の必要性

「旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ」と歌う「君死にたまふこと勿れ」には、地政学的・戦略的な想像力が欠如しています。ロシア軍の旅順要塞が健在なままバルチック艦隊が来航すれば、日本本土が危機にさらされ、弟どころか与謝野本人の生命すらお…

名作よりも問題作

評価の定まった名作よりも、まだ評価の定まらない問題作を。それが私の方針です。 そういう意味では、「琵琶伝」はなかなか好印象でして。 フェミニズム批評でいくなら、軍国主義と、それに反抗するヒロインの戦いといった感じでしょうか。新婚早々の新郎に…

泉鏡花「琵琶伝」

初出は『国民の友』1896(明治29)年1月とのこと。今回は青空文庫で読みました。 小田切秀雄「日本反戦文学史―素描―」でその存在を知ったのですが、反戦文学…なのかこれ?という感じです。 陸軍尉官近藤重隆と、お通の新婚夫婦。お通には謙三郎という…

「君死にたまふこと勿れ」の問題点

色々な評価があるわけですが、「「君」さえ無事なら、戦争はどうなってもいいのか」につきると思います。大町桂月ら主戦派はそう言って批判したわけですが、反戦派としても反対の立場から批判したくなります。 大町への弁明「ひらきぶみ」にもあるように、こ…

君読みたまふこと勿れ?

結局、与謝野晶子の弟は、「君死にたまふこと勿れ」を読んだのか。気になって調べたのですが確証は得られませんでした。 もう一人の宛名人、明治天皇は読んだのか。『明星』は読んでないでしょうが、大町桂月の批判が載った『太陽』はあるいは読んだかも知れ…

甘党

禁酒に成功してからというもの、アイスクリームだのシュークリームだのが好きになって、体重がやばいことに。昔の知人は見分けがつかないかも知れません。

後倒し

近日中に書く予定だった反戦文学原論ですが、資料はそろったものの、どうも構想に問題があるような気がして練り直すことにしました。 黒島伝治や戦後平和主義への批判なら書けますが、そこから先の見通し、平和のための文学とはいかなるものかのヴィジョンが…

天方伯と闇雲伯

山県有朋といえば、一八九〇(明治二三)年当時の伯爵・総理大臣であり、日本のその後(おもに侵略的な方向への)を決定づけた元老なのですが。 森鷗外の『舞姫』(一八九〇)で山県に相当する人物を「天方伯」と仮称したことはよく知られていますが、同じ年…

大塚英志『サブカルチャー反戦論』より 反戦派のロジック不足

大塚英志『サブカルチャー反戦論』(角川書店 2001(平成13)年)より。 改憲・保守派(大塚氏は「好戦派」と呼んでいます)に比べて、反戦派はことばとロジックが不足しているという指摘。 ※ テロの直後、ぼくは仕事場近くのマクドナルドでいかにもギ…

平和は「退屈」ですか

今回の題名は下嶋哲朗氏の著書より。『教養としてのジェンダーと平和』(法律文化社 2016)より孫引きさせていただきます。 下嶋著に紹介されているという、平和学習に反発を感じる学生たちの声を引用します。 ※ 「戦争はいけない、平和は大切だ。こんな…

戦争廃絶への見通し

小川未明の童話「野ばら」のことを考えながら『文学理論』をめくると、まさに「野ばら」への言及が。奇跡もシンクロニシティも信じない人間なので、単純に驚いています。 「野ばら」は単純化すると、敵対関係にある二人の兵士が、将棋を通して親しくなる、と…

西田谷洋『学びのエクササイズ 文学理論』 その2

ケチなやつと思われるかも知れませんが、1400円(税別)でこれだけ楽しめる本はそうはありません。 出てくる理論にはなじみのないものもありますが(不勉強です)、かつて入れ込んだり投げだしたりしたやつらも多々あって、読むたびに院生時代の楽しかっ…

西田谷洋『学びのエクササイズ 文学理論』ひつじ書房 2014 その1

買ってきました文学理論。 載ってましたヘゲモニー。以下引用。 ※ グラムシ(2001)のヘゲモニーとは、支配階級が社会を支配するだけでなく道徳的・知的主導権をにぎる状態を指す。支配階級のヘゲモニーが維持されるには彼らの制度や規範が自然なものと…

ヘゲモニーとグラムシ

わが尊敬するムフはしばしば、グラムシ由来のヘゲモニーという概念を持ち出すのですが、どうも意味がつかめません。ヘゲモニー(覇権)と書いてある箇所もあるし、検索すれば辞書的な意味はわかりますが、一般的な「権力」とか「リーダーシップ」とかではな…

矢野龍渓の「平和主義」とその限界

矢野龍渓という人は、新聞記者であり政治家であり小説家でもあり、なおかつ「平和主義」という言葉を日本で最初に(もしかしたら英語のpacifismよりも先に)使った多才な人です。 具体的には、『経国美談』という政治小説の後篇で、アンタルキダスという架空…

ドタバタ悲劇。

という語を思いつきましたが、あてはまる対象は何でしょうか。Zガンダムかダンバインの最終回あたりか、いやむしろ戦争そのものか。

木下尚江と村井弦斎の反戦論 その2 戦争になる前に

木下尚江と村井弦斎の偉さは、戦時下で反戦論を展開し続けたことにある、とは思います。 しかし、だからといって戦争になるまでは平和主義者は何もしなくていいのか、ということにはなりません。むしろ、戦争になる前に、戦争を阻止することが大切なのです。…

木下尚江と村井弦斎の反戦論

木下尚江(明治後期・日露戦争期に活躍)と、村井弦斎(同じく明治後期の『食道楽』で有名。反戦論に転じたのは大正・第一次大戦期)は、時期は違えど戦争のただ中に反戦小説を書いた、勇気ある作家であり、私の重要な研究対象です。 両者の共通点について考…

ヴェルレーヌ『よい歌』(予告)

『よい歌』という題の詩集があることを知りまして。読みたくてたまりません。

文学理論本でも買おうかな……

『日本文学』のバックナンバーを整理しながら読み直していたら、比較的新しめでしかも安めの理論書の広告がありました。目次も魅力的だったので、購入を検討してみようと思います。

ランボー詩集

Aは黒、Eは白、Iは赤、Oは青、Uはみどり カラーにしたら理解できるかと思ったけど、そうでもありませんでした。 わけあって、ランボーやヴェルレーヌの詩を読もうと思い立ちまして。新潮文庫堀口大学訳を本棚の奥から引っ張り出して読んでいるところで…

引っ越し完了。

とはいうものの、旧ブログが更新不可になっていることに気づいてあわてて移行したため、引っ越し先を書き残すことができませんでした。ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。 新天地で気分一新といきたいところですが、内容的には相変わらず、執筆中の反戦…

「核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ」、yahooブログより移転しました。

yahooブログで「核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ」、略して「核通」を書いていた者です。 このたびyahooブログ終了につき、こちらに引っ越してきました。 関心事は平和と近代日本文学、その関わりです。後は電源あり/なし問わずゲーム。 よろしく…

星新一「白い服の男」

夏休みの読書感想文でも。原本は今手元にないので、ウィキペディアのあらすじを観ながら記憶を呼び戻してみます。初出は『SFマガジン』1968年9月号とのこと。 近未来、白い服の思想警察が、市民のプライバシーのすべてを監視する社会。といっても殺人…