核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

花沢理容室。

前回の「来週のサザエさんは」の時点で、ある期待はあったのですが。 冒頭から理容室で、あの髪型にしてもらったばかりのサザエさんが登場。 残念ながら工程は描写なしでした。原作ではストレートでモナリザの真似する話もあるのですが。 そして少し髪が伸び…

「当世牛馬問答」さし絵

なぜか仮名垣魯文の『安愚楽鍋』は近代デジタルライブラリーに収録されていないようなので、筑摩『明治文学全集 1』からスキャンしてみました。著作権上の問題があればただちに削除して謝罪します。 ワインのぶどうやタバコの葉も、のまれた後でウシやウマ…

福沢諭吉 「肉食の説」(1871(明治3)年)

昨日はいそがしい日でした。行きの電車でヴァレリーの「テスト氏との一夜」を読み、帰りの電車でヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を読み・・・。 「文学って何だっけ」と思いかけたところで仮名垣魯文の『安愚楽鍋』のアニマルライツ論を再読し、「これ…

仮名垣魯文 『安愚楽鍋』(1872(明治5)年) より 「当世牛馬問答」

牛鍋が流行した明治初期。洋服姿でワイングラスを傾けるウシと、江戸っ子姿のウマとの対談。 ※ 馬「牛公。久しく会わねえ内、手前は大層出世して、ラシャのマントルにズボンなんぞで、すっぱり西洋風になってしまったぜ。うまくやるな」 牛「おお馬か。手前…

小林秀雄 「私小説論」(1935(昭和10)年) 初出との異同

すでに誰かが指摘していそうでもあり、細かい上に非生産的な話なので、手短にまとめます。 新潮社第五次全集(平成13年)の「私小説論」末尾には(「経済往来」、昭和十年五月)とありますが、正確には、 「私小説論」 『経済往来』誌 1935(昭和10…

フィリップ・ショート 『毛沢東 ある人生 下』 理想社 2010(山形浩生・守岡桜訳 原著1999)  その2

1957(昭和32)年の世界共産党会議で、ソ連のフルシチョフからの原子爆弾のサンプル提供を受けた際の、毛沢東の発言。 ※ 仮説をたててみよう。戦争が勃発したらどれだけの人間が死ぬだろうか?全世界の人口は二十七億人で、その三分の一が失われるかも…

フィリップ・ショート 『毛沢東 ある人生 下』 理想社 2010(山形浩生・守岡桜訳 原著1999

まず、大江健三郎が訪中し「理想的にうまくいっている」と讃えた1960(昭和35)年の「大躍進」政策。 ※ 一九五九年と一九六〇年には約二千万人の中国人が餓死し、生まれた子供の数は千五百万人少なかった。弱りすぎた女性たちは子を宿せなかったからだ…

1960年中国の大躍進政策

大江健三郎が訪中し、「理想的にうまくいっている」と讃えた1960(昭和35)年の中華人民共和国の実態がいかなるものであったか。 ひとまずウィキペディアの「大躍進政策」を引用します。 ※ 大躍進政策(だいやくしんせいさく、繁体字:大躍進、簡体字…

大江健三郎 「北京の青年たち」(『厳粛な綱渡り』 文藝春秋新社 1965)

一国の青年がそろって明るい目をしている、なんてことがあったら、まず思想統制と疑うべきです。 ※ 北京の青年たちは明るい目をしている、ほんとうに明るい目だ。(略) そしてぼくが、あらゆる責任をとりながら、中国の社会主義国家は、理想的にうまくいっ…

カルボナーラ

村井弦斎研究家を自称する身として、たまには得意料理の話でも。 ゆでたスパゲティ(200g程度)にいためたベーコン、スライスチーズ一枚にたまご一個(まるごと)を入れて、余熱があるうちに混ぜ、塩少々。それだけです。 そもそもは美味しんぼがきっかけ…

とどこおり中

投稿するはずだった麗水論が来月までに書けそうもないので、テーマを変えてみます。 『浮城物語』か『浅草紅団』か『美しい星』か。はやいうちに決めねば。

山口守圀 『〈増補版〉 文学に見る反戦と抵抗』 海鳥社 2001初版 2011増補

八重洲ブックセンターで見つけて、さんざん迷ったあげく買わなかった本です。 大正期以降の反戦小説の一覧としては価値あるものであり(私の論文『明治の平和主義小説』とは一編も重複していません)、労作であることは確かです。 しかし、以下のような箇所…

宮武外骨著 吉野孝雄編 『予は危険人物なり―宮武外骨自叙伝』 筑摩書房 1985

いずれ明治の批評史を論じてみたい私にとって、避けては通れない人物がこの宮武外骨(みやたけがいこつ。本名同じ。1867(慶応3)~1955(昭和30)。)です。 批評家などと呼んでは失礼かも知れません。憲法発布に盛り上がっていた1889(明治…

窪徳忠 『道教の神々』 講談社学術文庫 1996

1ページ目から、「元始天尊」の坐像が。週刊少年ジャンプで『封神演義』を知り、安能務版やコーエー版の原作(?)にポロロッカした私にはたまらない本です。 現代(1980~1990年代)の中国・台湾・香港などで崇拝されている神々の学術的調査なので…

『日本文学』1月号特集 リテラシーと向かい合う

日本文学協会公式サイトより。 特集の趣旨にぴったりではないけど、「初鮭」論が書けそうな気が。明治30年代のメガネ普及率を調べねば。 ※ 1月号特集 リテラシーと向かい合う 人間が「言葉」を持ち、それを書き付ける方法と道具を持った瞬間から「リテラシ…

『ちくま』入手できず。

少し遠くの書店をさがしてみます。

学位授与決定。

ひと安心。禁酒中につき、ネスカフェエクセラで祝杯にします。

小林秀雄 「様々なる意匠」 (『改造』1929(昭和4)年9月)

第五次小林秀雄全集第一巻(新潮社 平成14)と比較したのですが、今回は文意が逆になるような大きな異同はありませんでした。とはいえ、「眩惑の魔術」が「人心眩惑の魔術」になったレベルの異同は多数あります。 文意をより明確にするための異同であれば…

「新旧・二つの顔ー倉吉」(『厳粛な綱渡り』文藝春秋新社 1965)

講談社文芸文庫版(1991)では削除された文章の一つ。「「文芸文庫」版のための編集は、物理的に分量を少なくするための整理であり、五十代なかばを過ぎた今でも、ぼくはこのエッセイ集の最初の版のすべての文章に責任をとりたいと思う」(「文芸文庫」…

遅塚麗水「文士の戦争観」(『文芸倶楽部』1904(明治37)年10月1日)

この日露戦争下に非戦論など説いている場合ではない、文士といえども国民の敵愾心(てきがいしん)を煽る文を書かねばならぬ、といった内容でした(コピーはとれなかったので大意)。 村井弦斎の戦争論には、まだ玄米食で脚気患者を減らそうとか、軍人の家族…

「明治新聞雑誌文庫」訪問記

JR御茶ノ水駅からバスで東大構内へ。地下鉄で赤門方向から行った方が近かったのですが、まあ気分で。 赤門内のすぐ側にあるわけですが、半地下というか、妙にわかりづらい場所でした。 私のように東京大学とまったく縁のない人間でも、身分証明書(免許・保…

日露戦争前の新聞各紙の特色

伊藤整『日本文壇史10 新文学の群生期』(講談社文芸文庫 1996)より孫引き。確か山本武利『近代日本の新聞読者層』に同じ記事の正確な出典が載っていたのでいずれ調査します。 ※ 雑誌「中央公論」は、それ等の各新聞の特色を、次のような戯評によって…

星新一 「コビト」(『週刊朝日』1968(昭和43)年8月9日号 38~39ページ)

別件で昔の週刊朝日を読んでいたら、新潮文庫『ひとにぎりの未来』収録のショートショート「コビト」の初出を見つけてしまいました。同年8月16日の114~115ページには、「進歩」も。 コピーはとる余裕がなかったのですが、私の記憶にある限り、初出…

大岡昇平 『別巻Ⅰ 人間の建設』解説

江藤淳・中村光夫とともに、編輯に名をつらねる大岡昇平の解説。 ※ 小林さんは湯川博士との対談では「永遠回帰」について語っている。 《小林 肉体の秩序はただちに精神の秩序に連続していない。とすれば、肉体は亡びても・・・・・・。 湯川 そりゃ魂は亡び…

久米邦武 「聖徳太子の対外硬」 『太陽』1904(明治37)年1月

日露戦争開戦のひと月前。「神道は祭天の古俗」の著者による聖徳太子論です。 聖徳太子の隋(中国)への対外硬(強硬な態度)を称揚する、いかにもこの時期の『太陽』な論なのですが、数えたら四回も「平和主義」という後が使われていました。いずれも「文明…

「年始芝居 四十の山賊」(『郵便報知新聞』1887(明治20)年1月)

亞利抜(アリバー)が「開(はぢ)け豆」と唱えると、そこには山賊が貯めた財宝が。 『郵便報知新聞』1887(明治20)年1月7日~15日。弦斎を追ってたらとんでもないものを見つけてしまいました。 おそらくは日本初のアラビアンナイト翻訳です。 な…

「覚後庵主」は村井弦斎か?

先日展示されていた黒岩比佐子さんの書簡の中に、「弦斎居士」がデビューする以前に、「覚後庵主」なる人物の小説が『郵便報知新聞』に掲載されていたこと、「覚悟」という言葉を弦斎が愛好していたことから、もしかしたら弦斎の別名ではないでしょうか?と…

対談「人間の進歩について」が書き換えられた経過

ようやく初出から第四次、第五次小林秀雄全集にいたる書き換えの経過が明らかになりました。 以下の通りです。それぞれの版を仮に(初出)や(単行本)と呼びます。 1948(昭和23)年 7月中旬、小林秀雄と湯川秀樹の対談が京都南禅寺で行われる。 同…