核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

「新旧・二つの顔ー倉吉」(『厳粛な綱渡り』文藝春秋新社 1965)

 講談社文芸文庫版(1991)では削除された文章の一つ。「「文芸文庫」版のための編集は、物理的に分量を少なくするための整理であり、五十代なかばを過ぎた今でも、ぼくはこのエッセイ集の最初の版のすべての文章に責任をとりたいと思う」(「文芸文庫」版のためのノート」 『厳粛な綱渡り』 講談社文芸文庫 1991 649ページ)とのことですので、遠慮なく引用します。
 
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 この遅れたカメの性格を多分にもつ地方都市に、新しい産業の光が不意にさしこんできたように思えた一時期があった。三十年の小鴨鉱山におけるウラン鉱発見である。市長をはじめ市民たちは、かなり興奮したもようである。しかし、放射性物質にいたして(原文のまま。「たいして」か)の世界市場の態度が一種の雪どけを示して以後、ウラン鉱山の採算のとれる範囲は縮小した。(293ページ)
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 「ウラン焼」などという焼物に対しては、「見るからに拙劣、倉吉民芸の趣味に遠くおよばない」と書いていますが、「親しい外国人のだれかれを、日本人の大都会のものすごいウサギの脚力をおそれている友人のだれかれを、このおだやかな地方都市に誘うことを考えはじめていた」とも書いています。
 その後、スーパー・マーケットの繁盛ぶりに嫌悪をあらわにし、正統派のデパートや小売店の衰退を嘆いた記述はありますが、放射性物質の危険性への言及は一切ありません。
 ウランの危険に無知あるいは無関心であったのなら仕方のないことです。しかし、ウラン鉱発見を「新しい産業の光」と持ち上げ、外国人や友人のだれかれをウラン焼の町へ誘っておいて、その文章を後から全部なかったことにするような真似は、「最初の版のすべての文章に責任をとりたい」という宣言からはほど遠いものです。
 それに、「物理的に分量を少なくするため」に削除されたとは思えない文章は、これだけではありません。