核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大江健三郎の福島原発推進論

故・大江健三郎語録 その2

日本人民共和国を熱望する大江健三郎 - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com) 大江健三郎『世界の若者たち』「日本の若者たち(3)北小路敏」(1961) - 核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ (hatenablog.com) 大江健三郎 …

故・大江健三郎語録

記憶とはあてにならない、美化されがちなものです。死者についてはなおさらです。 現に故・大江健三郎について、反原発・反戦の知識人であったかのように語られ始めています。 反戦については議論の余地があるかもしれませんが、少なくとも一貫した反原発の…

日本人民共和国を熱望する大江健三郎

大江健三郎の『人民日報』一九六〇年六月二六日の発言。 「遠くない将来、必ずこんな日が参ってくる―日本人民共和国の旗が、中国人民共和国の旗といっしょに翻る日が!このような日はもう遠くない。このような未来はもう明日と同じように近づいてきた。これ…

山本昭宏『核と日本人』(中公新書 2015)

「筆者の研究の動機を遡れば、大江健三郎に行き着く」という、1984年生まれの若い著者による、戦後文化の中の原子力言説を概観した新書です。「ヒロシマ・フクシマ・ゴジラ」との副題あり。 当ブログが何度か引用した、大江の原発推進発言、「核開発は必…

大江健三郎「毛沢東と樺さんの死」(『世界の若者たち』 1961)

史上最悪の独裁者、毛沢東との大江健三郎の会見記。 毛沢東が樺さん(安保デモでの犠牲者)の死に「深く激しい悲しみ」をその眼にうかべたこと、彼がいかに人間的な政治家であるかをえんえんと語っています。 ※ 中国の大躍進の旗のもとの現在は、この人民公…

大江健三郎『世界の若者たち』「日本の若者たち(3)北小路敏」(1961)

原子力が未来のエネルギーとして期待されていた1961年。大江健三郎は原子科学者夫妻にこう発言しました。 ※ 「大江 科学はあまりできなくても政治力のある研究者が二、三人いれば、そういう人たちが政治家とたたかって原研をよくするかもしれない。理学…

1961年の大江健三郎語録

※ 「大江 二十六億円もかけた国産第一号原子炉が、自衛隊の戦闘機十機も墜落したと思えば、動かなくてもいい。つぎの炉をつくるために立派に役立つからだと現場の人がいってらして、ぼくはおもしろかった。ゼイタクでいいですよ。あんなに大きな原子炉だから…

1960年中国の大躍進政策

大江健三郎が訪中し、「理想的にうまくいっている」と讃えた1960(昭和35)年の中華人民共和国の実態がいかなるものであったか。 ひとまずウィキペディアの「大躍進政策」を引用します。 ※ 大躍進政策(だいやくしんせいさく、繁体字:大躍進、簡体字…

大江健三郎 「北京の青年たち」(『厳粛な綱渡り』 文藝春秋新社 1965)

一国の青年がそろって明るい目をしている、なんてことがあったら、まず思想統制と疑うべきです。 ※ 北京の青年たちは明るい目をしている、ほんとうに明るい目だ。(略) そしてぼくが、あらゆる責任をとりながら、中国の社会主義国家は、理想的にうまくいっ…

「新旧・二つの顔ー倉吉」(『厳粛な綱渡り』文藝春秋新社 1965)

講談社文芸文庫版(1991)では削除された文章の一つ。「「文芸文庫」版のための編集は、物理的に分量を少なくするための整理であり、五十代なかばを過ぎた今でも、ぼくはこのエッセイ集の最初の版のすべての文章に責任をとりたいと思う」(「文芸文庫」…

大江健三郎 「最初の詩」 (『厳粛な綱渡り』 1965)

どんだけ原発好きなんでしょうか、大江健三郎という人は。 ※ 一九六〇年夏、東海村で構築中の原子炉の巨大なドオムの壁を螺旋階段をつたってよじのぼっていたとき、ぼくは、不意に幻覚にとらえられた。壁の高みで空気もれをおこす小さなピン・ホールをさが…

大江健三郎 『厳粛な綱渡り』 予告

国会図書館にも初版本がないので、講談社文芸文庫版についていた初出一覧を元に雑誌を調べることにします。 「未詳」がむやみと目立つ一覧ではありますが。 大江の生き様が「綱渡り」なのは認めます。問題は厳粛かどうかです。

大江健三郎 『定義集』 朝日新聞出版 2012

2012年7月30日第一刷発行。「2006年4月18日から2012年3月21日まで、月に一回、朝日新聞朝刊の文化面に連載されました。単行本化にあたって加筆しました」とのことです。 ※ さて私が『小説の方法』でしていた、悪しき日本現代文の引用は、…

大江健三郎 『個人的な体験』

大江健三郎の「幸せな結婚」シリーズ第二弾。アイロニーではありません。 (以下、2012年7月1日追記) 本当はこのあとに、「幸せな結婚生活とは困難のない状態ではなく、力を合わせて困難を乗り越えることのできる状態である」といった感想を書きたか…

大江健三郎 『二百年の子供』 中央公論新社 2003

先ごろ、大江「氏の本では幸せな結婚をした女性があまりいないのが気になります」というコメントをいただきました。女性や結婚に限らず、そもそも大江健三郎の本で「幸せ」な印象を受ける作品自体があまりない、とは私もつねづね考えていました。その数少な…

大江健三郎「抵抗の意思を示す時」

『世界』2011年11月号62ページ。9月19日の、東京明治公園「さようなら原発 5万人集会」にての発言だそうです。なおこの記事自体の題名は、「『さようなら原発』 6万人集会の記録」、となっております。 ※ 二つの文章を引いてお話します。第一は…

大江健三郎「同世代ルポ35 若き原子科学者夫妻」4ページ目(最後)

『毎日グラフ』1961(昭和36)年9月3日号。 最下段のみ。これで最後です。 「大江 科学はあまりできなくても政治力のある研究者が二、三人いれば、そういう人たちが政治家とたたかって原研をよくするかもしれない。理学部出身の全学連幹部を、原研…

大江健三郎「同世代ルポ35 若き原子科学者夫妻」3ページ目

『毎日グラフ』1961(昭和36)年9月3日号。 近藤達男氏の、「僕たちの子供が放射能をうけない仕事につけばいいのですが……そういう意味で、まだ世にでない子供に責任を強く感じますね」という発言および、靖子夫人の子供への放射能の影響を案ずる発言…

大江健三郎「同世代ルポ35 若き原子科学者夫妻」 2ページ目

『毎日グラフ』1961(昭和36)年9月3日号。 「大江 二十六億円もかけた国産第一号原子炉が、自衛隊の戦闘機十機も墜落したと思えば、動かなくてもいい。つぎの炉をつくるために立派に役立つからだと現場の人がいってらして、ぼくはおもしろかった。…

大江健三郎「同世代ルポ35 若き原子科学者夫妻」

『毎日グラフ』1961(昭和36)年9月3日号。 あと3枚ほど続きがあります。明日にでも。なお左上の書き文字は私がコピーした紙に書いたものであり、原資料にはありません。

武田徹 「原発報道とメディア」 講談社現代新書 2011

8月13日の記事(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/archive/2011/08/13)に、「大江健三郎が福島第一原発建設中には原発推進派であったこと、その過去をひたかくしにしていることは前に述べましたが、武田徹氏の新書にもその指摘があるそうです。…

大江健三郎 『さようなら、私の本よ!』 講談社 2005

まさかの衝撃。大江健三郎の「小説」で、核兵器の廃絶なんて話題が出ようとは! ※ ―正直に答えていただきたいと、ずっと考えてきたんです(略) あなた(長江古義人。大江っぽい小説家)はいま核兵器を持っている大国が、核兵器を持ち続けること自体に反対な…

武田邦彦の原発安全論―『偽善エネルギー』 幻冬社新書 2009

喜べ大江健三郎。君は決して一人じゃない。 (福島原発建設当時の大江の原発推進論については、次の記事http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/3295723.htmlをごらんください) 武田邦彦『偽善エネルギー』(幻冬社新書 2009)から、原子力発電の安全…

大江健三郎 「ウソをつかない力」 『「新しい人」の方へ』画 大江ゆかり)  朝日新聞社 2003より

昨日予告したテーマがうまく書けないので、本日のブログは書籍紹介に変更します。 2003年1~4月の『週刊朝日』に連載された大江健三郎のエッセイ。その一節、「ウソをつかない力」(88~98ページ)を引用します。なお、ここで論じられているのは道…

矯正不可能な虚言常習者の一例―大江健三郎

9/6(火)11:00~12:00 さようなら原発一千万人署名市民の会による「『講演会 さようなら原発』&『さようなら原発全国集会』に関する記者会見」 大江「311の後、ヨーロッパの報道をよく見てきた。すると、日本の反応と随分違う。福島原発の事故に対し、…

大江健三郎 「私らは犠牲者に見つめられている」 『世界』 2011・5 No.817

前から気になっていたのですが、このたびようやく図書館で借りることができました。 「ル・モンド紙フィリップ・ポンス記者の問いに」という副題があり、ル・モンド紙三月十七日付の記事に加筆したものだそうです。内容は(むしろ無内容はと言うべきか)、以…

ヒカリさんだけゴシック体のなぞ、とけた

大江健三郎が家族について書いたものを読んでいると、長男ヒカリさんのセリフだけ、 イーヨーは、もういません! みたいになってることがあります。違和感を感じてたのですが、今さら納得しました。エッセイ「私が、もう、闘いましたからね!」(『ゆるやか…

大江健三郎 「革命女性」 『最後の小説』 講談社文芸文庫 1994 収録

「大江なんておもしろいもんじゃないからね。長ながやるとこのブログの人気がおちる」 「いいや、2ページほどやる!」 くろうは買ってでもするアンタルキダスです。 「革命女性」(レヴォリュショナリ・ウーマン 戯曲・シナリオ草稿)は、『へるめす』19…

大江健三郎 「『運動』のカテゴリー―小林秀雄」

大江健三郎 「『運動』のカテゴリー―小林秀雄」(初出『新潮』1983年6月号(未見)。ここでの引用は、講談社文芸文庫『最後の小説』による)に、こうあります。 「小林氏は、―あれ(引用者注、『同時代ゲーム』)は二十ページで閉口したよ。きみは(小…

「雨の木を聴く女たち」「新しい人よ眼ざめよ」「静かな生活」

いずれも『大江健三郎小説 7』収録の連作短編です。 想像力の文学を提唱する大江ですが、彼の本領はこうした私小説(「ししょうせつ」または「わたくししょうせつ」。一人称で作家自身のことを書いた小説)にちょっとだけ「話を盛った」方向にあるのではな…