昨日予告したテーマがうまく書けないので、本日のブログは書籍紹介に変更します。
2003年1~4月の『週刊朝日』に連載された大江健三郎のエッセイ。その一節、「ウソをつかない力」(88~98ページ)を引用します。なお、ここで論じられているのは道徳上の「嘘」であり、昨日まで扱ってきた「虚構」という主題とは無関係であることをおことわりしておきます。かっこ内は引用者。
皆さんは、それらの国会議員たちが、ウソをいっていたと見破られながら、目の前にいる同僚の議員たちや、テレヴィを見ている数多くの国民に対して、恥ずかしいと感じている様子がないことに驚かれたでしょう。
ウソをつかない力のひとつに、自分が自分に持っている「誇り」があります。(略)
ここでひとつウソをついても、誰にもわからない。それでもウソをつくまい、と思う。それは、ウソをつくことで、自分の「誇り」が傷つく、と感じるからです。(略)
小さいことであれ、自分がウソをつきそうになる時、ほんの短い間でいい、口をつぐんだままでいるのです。そして、あの人がいま自分を見つめているとして、このウソをついていいか、と考えてみることです。
私(大江健三郎)の場合、そういう人たちとして、大学でフランス文学を教わった先生(渡辺一夫)や、優れた音楽家だった友人(武満徹?)や、またこの人は外国人ですが、白血病と闘いながら文学や世界の問題に確実な考え方を示している学者の友人(未調査)があります。
そういう人たちを具体的にしっかり持っているのも、ウソをつかない力をたくわえることです」
・・・説得力ある言葉です。機会がありしだい実験してみます。
あなたで