核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

フロイト『モーセという男と一神教』(『フロイト全集22』)

最晩年のフロイトが書いた、歴史小説ともトンデモ本ともつかない著書。 柄谷行人の『探究2』あたりで言及されてまして、ずっと気になっていたのですが、このたびフロイト復習の一環として読んでみることにしました。 聖書出エジプト記の主人公であり、映画…

フロイト『自我とエス』における躁

バトラー『非暴力の力』一七三~一七四頁にある、 「自己破壊の成功を妨げるための一つの方法は、自我が「事前に躁病に転化することによってこの暴君から身を守る」ことである」 との文章、同書の注にもあったとおり、フロイト『自我とエス』(『フロイト全…

本日はお休みします

ごめんなさい。

文学の中の都市空間ーツリー構造とセミ・ラティス構造ー

どうも小林秀雄や北原白秋の名を出すと攻撃的になってしまうので、少し話題を変えます。 現在の私は『戦争の止め方』論一筋なのですが、そこに至るまでには紆余曲折がありまして。反差別論や貨幣論にも興味を持ち、静岡大学時代にまでさかのぼれば、都市論な…

「戦争を望む者なんていない」?

たまに、以下のような疑問を耳にします。 「戦争を望む者なんていないのに、なぜ戦争が起きるのだろうか?」 残念ながら、上記の疑問は大前提が誤っています。前々回に書いたように、 文化の中でも居心地良い三人ー小林秀雄、北原白秋、柳田国男ー - 核兵器…

文化の中で、平和的に居心地良くある方法

前回はちょい攻撃的になってしまいました。今回はその攻撃性について、冷静に考えてみたいと思います。 攻撃性というか破壊の欲動というか、そういうものは確実に人間の中に存在すると思うのです。それが文化の中では抑圧されるために、人間は文化の中では常…

文化の中でも居心地良い三人ー小林秀雄、北原白秋、柳田国男ー

フロイトの「文化の中の居心地悪さ」は、人間が作り出した文化は、人間が持つ性や死の欲動を抑圧するものであり、その中で個々の人間は居心地悪さを感じざるを得ない、という趣旨でした。これには私も賛同できます。 かといって文化を捨てて自然に戻ることな…

よく考えたら

「文化の中の居心地悪さ」を扱っていない文学作品のほうが圧倒的に少ないですね。 たいていの文学作品は「ー文化の中の居心地悪さー」という副題をつけても違和感ないぐらいです。例外は『ロビンソン漂流記』とか『太平洋ひとりぼっち』ぐらいではないでしょ…

川端康成『浅草紅団』も、フロイト「文化の中の居心地悪さ」も一九三〇年。

ともに昭和五年。正確には、『浅草紅団』は一九二九~一九三〇断続的連載。 『浅草紅団』の弓子という主人公は、語り手の「私」には(そして大多数の読者にも)さっぱり理解できない特異な性格と行動の主なのですが、彼女の行動原理を、「文化の中の居心地悪…

タナトスとかデストルドーとか、死の欲動とか

フロイトも、戦争が起きる理由については考えていたわけですが。 彼は人間の無意識下の巨大な「死の欲動」を戦争の原因と考え、「文化の中の居心地悪さ」(一九三〇)では、もう一つの巨大な欲動であるエロースに期待しようと結び、アインシュタイン宛ての「…

またフロイト全集借りてきた

図書館で16、18、22巻という飛び飛びな借り方をしてきました。 もとはバトラー『非暴力の力』(二〇二二)の第四章を読解するためだったのですが、「文化の中の居心地悪さ」(一九三〇)を読んで以来、バトラーよりもフロイトのほうに関心が移りつつあ…

フロイト「文化の中の居心地悪さ」(『フロイト全集20』(岩波書店 二〇一一)

初出は一九三〇年。これは腑に落ちました。題名に反して心地よい読書体験。 「宗教は錯覚だ」と論じた「ある錯覚の未来」に続く、フロイトの社会論。 とはいえ、前半はちょい冗長。ロマン・ロランから来た、宗教の源泉は大洋のような感情だとする説に、ロー…

フロイト「ある錯覚の未来」に出てきた「かのように」の哲学

日本近代文学研究者にとっては、森鴎外の短編の題名でおなじみの「かのように」。 旧仮名のままだと「かのやうに」。 そのもとネタであるハンス・ファイヒンガーの『かのようにの哲学』が、フロイト 「ある錯覚の未来」で引用されてました。思えばフロイトと…

無神論者クリティアスと、フロイト「ある錯覚の未来」・「文化の中の居心地悪さ」

核通は ネタが尽きると クリティアス (だいぶ前に書いた心の川柳) 古代アテネの無神論者クリティアスについては、何度か扱ってきました。 無秩序な原始時代、人間は公然の暴力を禁止するために法律を発明し、さらにひそかな悪事をも禁止するために、神々と…

落胆。

リビード備給の対象が喪失する出来事がありました。フロイト「喪とメランコリー」でも読んで気を紛らわします。

バトラー『非暴力の力』と、フロイト「喪とメランコリー」における躁病観

まず、バトラーの躁病観から。 ※ もちろん私は躁病を擁護したいわけではないが、それは、権威的で暴政的な支配に反対する反乱的連帯の「非現実的」諸形式を理解するための鍵を提供してくれる、と強調しておきたい。 (バトラー『非暴力の力』一七六頁) ※ も…

またバトラー『非暴力の力』を読み返す

どうもフロイトの「自我とエス」(『フロイト全集18』)にも依拠しているようなので、次に図書館に行ったら借りようとは思いますが。 しかしバトラー氏は、フロイトを真に受けすぎというか、フロイトが心の世界について記述したことを実社会にそのままあて…

フロイト「快原理の彼岸」(『フロイト全集17』岩波書店 二〇〇六)

昔の訳では、「快感原則の彼岸」という題でした。題は魅力的。 「精神分析は一切(原文傍点)を性欲によって説明する」(一一〇頁)とはよく言われますが、ほかならぬフロイト自身がそれに疑義を唱えた論文。 戦争体験を反復強迫する戦争神経者や、あちこち…

フロイト「女性同性愛の一事例の心的成因について」(『フロイト全集17』) その3

フロイトが創始した精神分析というのは、夢の聞き取りと対話を通して相手の無意識を探るというものです。そこでフロイトが遭遇した、「分析技法について興味深い問題」(二六二頁)とは。 ※ 一時期、治療を開始してほどなくのことだが、少女が一連の夢の話を…

フロイト「女性同性愛の一事例の心的成因について」(『フロイト全集17』) その2

そもそも、同性愛を治療すべき病ととらえるフロイトの姿勢が前時代的だという批判はあるかと思いますが、なにせ一九二〇年の話なので。私はそういう方向からフロイトを古いと批判することはしません。同じ一九二〇年の戦争神経者治療論を批判したのは、その…

フロイト「女性同性愛の一事例の心的成因について」(『フロイト全集17』) その1

フロイトの戦争観に私が満足できないことは前回述べました。今回は戦争観から離れて、精神分析家としてのフロイトを見てみようと思います。 「社会的地位の高い家庭出身の美しく聡明な十八歳の少女が、約十歳年長の「その種の世界出」の婦人の後を追い回し、…

フロイト「戦争はなぜに」(一九三二年九月)

アインシュタイン側の書簡は『フロイト全集』には収録されていないのですが、フロイト側の返答から察するに、 「『戦争はなぜに』なくならないのか?」 という問いだったと思われます。しかしフロイトは、この問いに正面から答えてはいません。フロイト側の…

「戦争はなぜに」の舞台裏

一九三二年、アインシュタインとフロイトが戦争についての書簡を交わし、国際連盟から刊行された公開対話、なのですが。 フロイトはこの企画に乗り気ではなく、「アインシュタインとの退屈で不毛な議論」と述べていたと、『フロイト全集20』の解題(三六一…

緑一色

役満でも、『スピタのコピタの!』でもなく、シヴィザードの定跡の一つです。 緑がイメージカラーの、ネイチャーの呪文書11冊でのスタート。 初期呪文は好みにもよりますが、今回は「バシリスク」「跳躍」「鉄の皮膚」。 石化大トカゲのバシリスクを、残り…

シヴィザード カオス11冊至難制覇

PS1のレトロゲーム、CIVIZARD。気分転換のつもりでやったらほぼ徹夜。 今回は今までクリアできなかった、カオス系統ひとすじで悪役プレイです。 ある方の攻略ブログを参考に、種族はクラックオン(アリ人間)、 選ぶ呪文は、「キメラ」「カオス変…

軽くチェスプレイヤー

どうもフロイト「戦争はなぜに」の感想文がうまく書けないので(読んでみると、再評価すべき発言もあるのです)、フリーソフトのチェスで気分転換してます。 難易度5段階のうち、下から2番目相手に勝ったり負けたり。定跡とか相手の手を読むとかいうレベル…

フロイトを批判したら見た夢

村上さん家の麦茶がど~しても飲みたくて、無理を言って借り出した、ガンダムのプラモデルの腕が折れてたという、何とも後味の悪い夢を見ました。

アンチ・フロイト

このブログは以前から、「私はフロイトを読んで腑に落ちたためしが一度もないのですが」といったことを、再三書いてきました。フロイトへの非同意を示しつつも、もしかしたら私の理解力が足りないせいかも知れない、とも思えたので、どっちつかずともとれる…

フロイト「戦争神経症者の電気治療についての所見」(『フロイト全集17』岩波書店 二〇〇六)

須藤訓任訳。一九二〇年との日付あり。 第一次世界大戦下(一九一四~一九一八)、すぐ近くで榴弾が炸裂すると震えや麻痺を起こすといった症状は戦争神経症と呼ばれ、電気ショックによる「治療」が行われていたようです。 当然、電気治療は苦痛を伴うもので…

若松英輔『内村鑑三 悲しみの使徒』(岩波新書 二〇一八)

内村鑑三というキリスト教徒の中で、再臨思想と、日露戦争への非戦論がどのように結びついていたか。それを知りたくて借りてみました。 「悲しみの使徒」という副題からしてそうなのですが、どうも内村に寄り添いすぎ、その思想の全体像をつかめたとはいいづ…