核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

アンチ・フロイト

 このブログは以前から、「私はフロイトを読んで腑に落ちたためしが一度もないのですが」といったことを、再三書いてきました。フロイトへの非同意を示しつつも、もしかしたら私の理解力が足りないせいかも知れない、とも思えたので、どっちつかずともとれる書き方をしていたわけです。

 昨夜から岩波版全集で後期フロイトの代表的論文をいくつか読み、そろそろ態度をはっきり決めるべきだという結論に達しました。間違っているのはフロイトの思想の方であると。

 フロイトの全著作を批判しつくすことは私の力を超えます(し、日本近代文学研究者が片手間にやるべきことでもありません)が、すくなくともフロイトの戦争観と、それに付随する人間観については、はっきり批判されるべきだと思います。

 なんでこんな面倒なことに首をつっこんだか。発端はこの間読んだバトラーの『非暴力の力』という近著で、後期フロイトがあまりにも無批判に援用されているのを見て、二十一世紀の非暴力論としてそれはどうなんだと思ったのがきっかけでした。

 それに限らず、日本近代文学研究の分野であっても、フロイト由来の概念を無批判に分析理論として使用している例は眼につきます。それらの根っこにあるフロイト的な考え方を再検討する必要も感じます。

 さしあたっては、フロイトアインシュタインからの反戦書簡に応えた「戦争はなぜに」(全集20巻収録)あたりを読み込んでいこうと思います。アインシュタイン、送る相手を間違えています。