どうもフロイトの「自我とエス」(『フロイト全集18』)にも依拠しているようなので、次に図書館に行ったら借りようとは思いますが。
しかしバトラー氏は、フロイトを真に受けすぎというか、フロイトが心の世界について記述したことを実社会にそのままあてはめすぎ、な気がしてなりません。
バトラー『非暴力の力』の第四章は、「フロイトにおける政治哲学ー戦争、破壊、躁病、批判的能力」と題されてまして、戦争と破壊に向かう死の欲動を、躁病のもつ批判的能力が抑止できる、といった論調なのですが、いかがなものでしょうか。