昔の訳では、「快感原則の彼岸」という題でした。題は魅力的。
「精神分析は一切(原文傍点)を性欲によって説明する」(一一〇頁)とはよく言われますが、ほかならぬフロイト自身がそれに疑義を唱えた論文。
戦争体験を反復強迫する戦争神経者や、あちこちで引用される、糸巻きをベッドの下に投げこんで「ない」とか「あった」とかやってる坊やの話を皮切りに、どうも快原理だけでは説明のつかない欲動があるのではないかと。
でフロイトは、人間の欲動を、「生の欲動と死の欲動」(一一〇頁)の二元論として理解し、先に挙げた二例は死の欲動に属するんだそうです。これぞ快原理の彼岸。
にわかには受け入れられがたい仮説だというのは、フロイト自身もわかっていたらしく、アリストパネス(おお)がプラトンの「饗宴」で披露した原始両性具有説とか、そのさらにもとネタらしい「ウパニシャッド」にまでさかのぼってますけど・・・・・・毎度のセリフを書かねばならないようです。腑に落ちないと。
進化論を援用して、生物は無生物から進化したものであり、元の無生物に返ろうとする志向を持つという説も。『新世紀エヴァンゲリオン』の人類補完計画のもとネタっぽい話で面白いんですけど、やっぱり腑に落ちません。
公開書簡「戦争はなぜに」でも、専門外のアインシュタイン相手に、フロイトは死の欲動説をまくしたて、結局は戦争廃絶は文化の進歩に期待するしかないとか、しまらない終わらせ方をしています。アインシュタインは腑に落ちたのでしょうか。