核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

文化の中でも居心地良い三人ー小林秀雄、北原白秋、柳田国男ー

 フロイトの「文化の中の居心地悪さ」は、人間が作り出した文化は、人間が持つ性や死の欲動を抑圧するものであり、その中で個々の人間は居心地悪さを感じざるを得ない、という趣旨でした。これには私も賛同できます。

 かといって文化を捨てて自然に戻ることなど不可能であり、また共産主義キリスト教が掲げる理想は人間の欲動に反するために実現不可能であるとも。これにも同意。

 では人間が居心地良くなるにはどうしたらいいかについては、フロイトは何も語っていません。フロイトに代わって、「今いる文化が居心地良くて仕方がない!」という三人を紹介しようと思います。決して真似してはいけない戦争下の例ですが。

 

   ※

 小林 僕自身の気持ちは、非常に単純なのでね。大戦争が丁度いゝ時に始つてく  れたといふ気持なのだ。戦争は思想上のいろいろな無駄なものを一挙に無くしてくれた。

 ( 同人座談会「即戦体制下文学者の心」より小林秀雄の発言 

  『文学界』一九四二(昭和一七)年四月 八〇~八一頁 全集未収録)

 

 

 すばらしいの、何のつて、君、

 大東亜共栄圏なんだもの、

 僕の脳髄はそのまま地図なんだぜ、

 カナダだつて、スエズだつて、パナマだつて

 もうとうに塗りかへてるんだぜ。

 (「大東亜地図」『大東亜戦争 少国民詩集』

  『北原白秋全集 28 童謡集 4』(岩波書店 一九八七 三一八頁)

   初出は『週刊少国民』一九四二(昭和一七)年八月二三日)

 

 柳田 今が昔でないということをこのくらい大きな声を出して言える時代は今までの歴史にない。こんな立派な世の中はない。この時代にまだ昔の方がいいといって過去の黄金時代を夢見るなんてことは間違ったことだと思う。今ならば確かにより上り坂なんだから、将来は今よりもっとよくなると言ってちっとも差支えない時代だと思うんです。
 (『柳田国男対談集』(筑摩書房 一九六四 一二五頁)より柳田国男の発言

   初出は『文藝春秋』一九四三年(昭和一八)年九月)

   ※

 

 5000万人以上が亡くなったという第二次世界大戦のただ中で、この三人は、

 

 小林秀雄大戦争が丁度いい時に始まってくれた」

 北原白秋「すばらしいの、何のって、君、大東亜共栄圏なんだもの」

 柳田国男「こんな立派な世の中はない」

 

 と、口々に戦争下の日本を讃えます。

 「そういうのって、誰にでもあてはまるんじゃないですか?」という方もいるかもしれませんが、そうではありません。確かに緒戦の勝利に酔って上記三人に似た言を吐いた知識人(?)もいますが、『辻詩集』(一九四三(昭和一八)年)という戦争協力詩集を読むと、もうちょい冷静です。戦争が丁度いい時だとかすばらしいとか立派だとかはあまりないようです。

 上記三名にあって『辻詩集』にない最大の要素は、特攻隊、つまり搭乗者に確実な死を強いる、戦略的には意味のない作戦への賛美です。

 

   ※

 小林 いつかあなた(引用者注 海軍大佐平出英夫)の放送なすつた中にあつた、特別攻撃隊といふ文句、あゝいふ言葉が、言葉の上からでなく、生活の中から自然と生れて来てゐる、さういふところが僕は非常に面白かつた。

 (海軍大佐平出英夫・小林秀雄河上徹太郎「鼎談 海軍精神の探究」

  『大洋』一九四二(昭和一七)年五月 四二頁 全集未収録)

 

 「自爆」といふ言葉を聞いた時

  僕の心臓は一塊(くわい)の火となつて落ちて行つた。

 (北原白秋「言葉」前掲北原著)

 

 古い戦史を読んで見ても、小さい領域でならば死に絶えるほど人が討死にをした例  は幾らも有る。しかも其為に次の代の若者が、気弱くなつたといふ地方が無いのである。勇士烈士をして安んじて家を忘れしめ、子孫を自分の如く育て上げるだけの力が、後に残つた女性に在ることを信ぜしめて居たのである。今度はその証拠を算へきれないほど我我は見出して居る。

 (柳田国男特攻精神をはぐくむ者」『定本柳田国男全集 第31巻』四九七頁

  初出「特攻精神をはぐくむ者」『新女苑』1945年3月)

 

 (以上、下線は引用者による)

   ※

 

 もちろん小林秀雄は一兵卒として銃をとるといいながら実行しなかったし、北原白秋の心臓が一塊の火となって落ちるはずもなく、柳田国男は勇士烈士どころか徴兵忌避者なので、彼らが面白がり、感動し、はぐくもうとしているのは、あくまで他者の死、他者の特攻精神です。

 フロイトのいう死の欲動がほんとかどうか知りませんが、少なくともほんとうに死んでしまった人は、死の欲動の充足感など味わいようもないのです。小林・北原・柳田は安全な場所から特攻隊を煽り死に追いやることで、死の欲動ナルシシズムを同時に満足させ、さらに戦争体制への迎合さえ果たしているわけです。実にいやしい話です。

 近代批評、近代詩、民俗学の第一人者になんてことを、という方もいるかも知れませんが、逆に問い直したいです。小林、北原、柳田のような人間たちが各分野の第一人者にのし上がれたのは、まさに戦前・戦中という時代の病理のなせるわざではないかと。

 個人攻撃が目的ではないので、三人への批判はこれくらいにします。一般化すると、戦争で地獄のような思いを味わっている人が数千万単位でいる一方、彼ら少数の戦争扇動者は、戦争で天国のような思いを味わっており、それゆえに戦争が長く続くよう煽り続けているわけです。戦争がただの悲惨な出来事にとどまらず、人為による巨大な不正・格差であり、廃絶されねばならない理由はそこにあります。