ボルヘスの作品は面白いけど、なんか読んだ後に閉塞感というか、不自由感が残ることが多いのです。この短編「八岐の園」も例外ではありません。
八岐の園というのは主人公の先祖が書いた、一見矛盾に満ちた小説で(第三章で死んだ主人公が、第四章では普通に生きてたりします)、主人公は別件で訪れた家で、「八岐の園」の興味深い解釈を聞かされます。この小説は直線的な時間ではなく、分岐し枝分かれするあらゆる時間を書こうとしたものであると。
O・ヘンリーの「運命の道」(主人公が三方向のどれに向かうかで、三つの展開に分岐し収斂する小説)のもっとややこしいバージョン、あるいはゲームブックみたいなものでしょうか。
ここからはまったく私の個人的な感想文になるのですが、この「八岐の園」と、「運命の道」は、私をどうも鬱状態にさせるのです。ゲームブックでいえば、どんな選択肢を選んでもしあわせになれない『冒険者の帰還』も、同じような心理状態に私を陥らせました。「胸ふさぐ」という古い言葉がありますが、まさに「ふさぐ」状態になるのです。人間とはかくも不自由なものかと。選択の自由よりも、その分岐の「収斂」が、私を憂鬱にさせるのです。自由とはみせかけの選択肢に過ぎず、運命はあらかじめ決定されている。といった思想とは、どうも私は相性が悪いようです。
以上、とりあえずの感想文でした。これを哲学や物語理論にまで鍛え上げるには、まだ時間が必要みたいです。