核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

第四反論(白水社『デカルト著作集 2』 1973)

今回のゲストは、神学博士(見込)アントワーヌ・アルノー。この反論執筆時には29歳、パリ大学神学部で、博士論文の提出準備という「面倒な仕事で忙殺されていた」(241ページ)とこだったそうです。履歴書だの製本だの、論文以外で面倒なことが多いも…

寿がきや「ノンフライ麺 秘伝のだし 名古屋の味 みそ煮込うどん 八丁味噌」

名古屋にいた頃は、冬になるとみそ煮込みうどんばっかり食べてたものです。このたびある方からお贈りいただき、久しぶりに食べてみました。 私がいつも食べてた5袋いくらのフライ麺よりも高級な味です。ただ、ゆで4分に煮込み2分と時間がかかるのが難点。…

デカルトの循環論法(近藤洋逸 『デカルトの自然像』岩波書店 1959 より)

これまでにもうっすらと問題になってはいたのですが、アルノーやガッサンディの第四・第五反論ではくっきりと問題になりそうなので、近藤氏の要約を引用します。 ※ デカルトは明晰判明知の真を誠実な神によって保証させる。(略)すなわち自我のもつ神の観念…

ホッブズの唯物論(近藤洋逸 『デカルトの自然像』岩波書店 1959 より)

ホッブズといえば王権神授説、というのは高校世界史レベルの常識でして。神授説というからには神を信じているはずなんですけど、デカルトへの反論を読んでると、本当にそうなのか不安になってきました。 (2013年6月12日 追記 「高校世界史レベルの常…

ホッブズの夢問題

デカルトの『省察』に対してホッブズは16の反論を挙げたわけですが、その最後の反論は夢に関するものでした。デカルトの、「夢が生涯のそれ以外の活動のすべてとは記憶によって結合させられるということはけっしてない」という説への反論です。 ※ 私(引用…

第三反論と答弁 9~16(白水社『デカルト著作集 2』 1973)

このホッブズによる第三反論とそれへの答弁は、一問一答形式をとってはいますが、実際にはまとめて送られてきた反論に、デカルト側もまとめて再反論したものでして(解説 516ページより)、ある反論への答弁が次の反論にフィードバックされることはありま…

第三反論と答弁 1~8(白水社『デカルト著作集 2』 1973 より)

ちょっとだけデカルトに戻ります。今すぐ小林秀雄について書いても、以前にandew様に反論したのと同じ内容を繰り返すだけになりそうなので、少し冷却期間をおくことにさせていただいたわけです。「機械は考えることができるか」という問題とも、まんざら無関…

素朴な物心二元論

小林秀雄ともデカルトとも無関係な話です。私の哲学的立場みたいなもんをつらつらと。 ・肉体(脳も含む)とは別に、自由意志というものはあると思う。 ・でも来世は信じない。脳がやられれば自由意志もなくなると思う。 ・動物とか機械でも、場合によっては…

デカルト休み

久しぶりに、小林秀雄の「常識」についてのご意見が届きました。そちらにお答えするため、デカルトの『省察』はしばらくお休みにします。 頭の切り替えとダンボール探しに少し手間取りそうでして。まあ、こちらも「物体は思惟するか?」の問題なんですけど。

第二反論と答弁(白水社『デカルト著作集 2』 1973 より)

省察六番勝負その二。今回は長いので、私の余計なコメントははさまず要約に徹します。 ・メルセンヌによるとされる第二反論 1 「物体が思惟することはありえない」とデカルトは前提しているが、そう断言できるのか?。 2 デカルトの言う「神の観念」は神自…

第一反論と答弁(白水社『デカルト著作集 2』 1973 より)

「何とも強力な反対者を私にあなたがたはお差し向けになりまして」というデカルトの言葉が期待をかきたてます。省察六番勝負の第一。 最初の反論者はオランダ、アルクマールの大司祭カテルス(解説より)。デカルトの友人メルセンヌを通して、出版前の『省察…

デカルト『情念論』における「高邁」

高邁(こうまい)と高慢(こうまん)。日本語だと一文字の差ですけど、デカルトは「高邁」を、「高慢」と全く相反するものと定義します。 才、美、富、栄誉などの外的なものを尊ぶのが高慢で、自分自身のうちにある自由意志だけを尊ぶのが高邁。 ※ 「彼ら(…

「決然とした態度が卑しい心に及ぼしうる働き」(『人類の知的遺産 32 デカルト』より)

今日ぐらいは粋な話を。所雄章『人類の知的遺産 32 デカルト』(講談社 1981)に、「社交の人、そして武断の人、デカルト」と題して紹介されている、若きデカルトのパリ生活時代です。 ※ その彼女(引用者注 後のデュ・ロゼ夫人)をめぐって、この『剣…

CiNii上に、『省察』未収録の反論と答弁を訳した二論文がありました。

20件ずつ表示 50件ずつ表示 100件ずつ表示 200件ずつ表示 出版年:新しい順 出版年:古い順 論文名:五十音順 論文名:五十音逆順 刊行物名:五十音順 刊行物名:五十音逆順 被引用件数:多い順 「デカルトから某氏への書簡(1641年8月)」訳解 … 稿の取り上げ…

『省察』「第七反論・答弁」の日本語訳について

すでにお気づきの方も多いかと思いますが、私は大ばか者でした。「第七反論・答弁」はとっくに日本語に訳されていたのです。 KAKEN(科学研究費助成事業データベース)の1995~97年度、村上勝三という方を代表者とする、「デカルト『省察』「反論と答…

デカルト『省察』本論部分の章立て

『省察』の本論部分は青空文庫でも読めるし、『方法序説』や『哲学の原理』ともかなりの割合でかぶるので、各章の小見出しを並べるにとどめます。 第一省察 疑いを差しはさみうるものについて 第二省察 人間的精神の本性について。精神は身体よりも、より良…

『勝負師(ギャンブラー)伝説 哲也』

緒方賢一氏といえば、若本規夫氏とならんで私が尊敬する声優ですが、うれしいとこでお声を聞けました。 哲也と印南(いんなみ)の全財産を賭けた最終決戦。その場に立ち会った冷酷そうな男の口から、「いい麻雀見せてもらったぜ」と、人情味あふれる一言が。…

デカルト著 三木清訳 『省察』(青空文庫 底本は岩波文庫 1933)

これまで白水社の著作集でデカルトを読んできましたが、『省察』は実は青空文庫に収録されてました。 http://www.aozora.gr.jp/cards/001029/files/43291_21543.html ただ、日本語訳の『省察』の多くと同じく、こちらも本文のみ、反論と答弁はなしとなってお…

シンポジウム 「虚構とは何か」

前回、「虚構」というキーワードを出し忘れました。罪ほろぼしにシンポジウムのお知らせを。 ※ 文学研究科公開シンポジウム 「虚構とは何か―ありそうでなさそうで、やっぱりあるものの形而上学」 中村靖子 「物語と虚構―フロイトのモーセ論」 戸田山和久 「…

遠回り

中国のレーダー照射。北朝鮮の核実験。シリアの内乱。そうした切実な問題をさしおいて、なにがデカルトの省察だ。そう思われる方も多いかもしれません。 われながら遠回りだとは思いますが、目的を見失っているわけではありません。目的とは、文学研究者の立…

柄谷行人 『哲学の起源』 岩波書店 2012

17世紀のデカルトからはだいぶ離れた、紀元前6~5世紀のギリシアのお話です。 ギリシアといってもアテネではなくイオニア。デモクラシー(民主主義)ではなくイソノミア(無支配)。それが本書の主題です。 私としては、ろくに資料の残ってないイオニア…

蜜蠟について(デカルト『省察』「省察Ⅱ」より)

「第二省察」の主役ともいうべき蜜蠟(みつろう。文字化け・つぶれの際はご容赦ください)。 ウィキペディアにの「蜜蝋」の項によれば、「ミツロウ(蜜蝋、Beeswax、Cera alba)はミツバチ(働きバチ)の巣を構成する蝋を精製したものをいう」そうです。 デ…

デカルトの存在論的証明への反論の例

まずデカルトの、神の存在論的証明のおさらいを。引用は「省察Ⅲ」からですが(白水社『デカルト著作集 Ⅱ』収録)、同じ論はデカルトのいたるところにでてきます。デカルト哲学の根幹といっていいでしょう。 ※ 私がそれによって永遠で、無限で、全知で、全能…

ビブリア古書堂の事件手帖

想像してみてください。月9のドラマで、初版と流布本の異同なんてネタを見た文学研究者の驚きを。次回から欠かさず観ます。 宮沢賢治のヴァリアントの多さは有名で、「雨ニモマケズ」の一節「ヒデリノナツ」が「ヒドリノナツ」だった異本があって、本一冊分…

デカルト 『省察』 「序言」(白水社『デカルト著作集』 1973)

まだ序言しか読んでいない、というわけではありません。 この序言で、「私はくれぐれも読者に、それらの反論とそれに対する解答のすべてを読み通す労をとられるよりも先に『省察』について判断をくだすことのないように、お願いする」(19ページ)と釘をさ…

ゴスペラーズ 「ポーカーフェイス」(『FRENZY』 2002 収録)

このところ固い話が続いたので、音楽紹介でも。 この『FRENZY』は私にとって十年来の名盤なのですが、デカルトの省察を読んでて、ふとBGMにしたくなりまして。 「夢」「嘘つき」「感覚」「心と身体」といった歌詞を聞いてると、ふとデカルトが歌っているよう…

福地桜痴の民主々義(「新聞紙実歴」 1894(明治27)年 より)

戦前の日本では、デモクラシーを「民本主義」と訳した例はあっても、「民主主義」という言葉はなかった。という誤解がかなり広まっているので、反証を提出します。 福地桜痴が幕末から明治前期を回顧した「新聞紙実歴」の一節です。 ※ 余は従来激烈の自由主…