核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

ホッブズの夢問題

 デカルトの『省察』に対してホッブズは16の反論を挙げたわけですが、その最後の反論は夢に関するものでした。デカルトの、「夢が生涯のそれ以外の活動のすべてとは記憶によって結合させられるということはけっしてない」という説への反論です。
 
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 私(引用者注 ホッブズ)はお尋ねしますが、或る者が自分は夢を見ているのかどうかと疑っている夢を見るときに、彼はその自分の夢が長い一連の過去の事象の観念と結びついている夢を見ることはできない、というのは確かなのでしょうか。もしも[そのような夢を見ることが]可能だとすれば、夢を見る者にとっては自分の既往の生活上の活動であるようにみえる事柄は、彼が目覚めているとした場合に劣らず、真とみなされうるわけです。
 (白水社 『デカルト著作集 2』 1973 237ページより)
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 「自分は夢を見ているのかどうかと疑っている夢」や「過去の記憶によって結合された夢」なら、私にも何度か体験があります。
 実は数時間前(2013年2月22日深夜)。私はある地方国立大学の数学部(?)から、教員ではなく受験生としての合格通知を受け取りまして、何の疑いもいだかず、「いい歳だけど、もう一度大学生活も悪くないな」などと能天気に考えていたところで・・・お察しのとおり、夢から覚めたわけです。
 その夢の時は、「夢を見ているのかどうか」と疑いはしませんでした。自分の過去(2013年2月21日夜まで)の履歴と連続しているように感じられ、まったく違和感を感じなかったわけです。
 まあ「いい夢見させてもらった」ので不満はありませんけど、何か不安になったのは確かです。「ブログを更新している夢」もたまに見るのですが、「これ」は大丈夫なのでしょうか。大丈夫でしょう。
 リアルじゃない夢を見ることもありますが、その時はたいてい、「夢の中で読んでいる本の中で」「夢の中で見ているアニメの中で」といった前置きがつくのです。まるで「この夢はフィクションです」という但し書きのように。