核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

虚構論

文学は現実を変えられるか?

このブログは開設当初から、小林秀雄の対米開戦論だの、大江健三郎の核開発賛成論だのをとりあげてきたため、露悪的と思われる方も多いと思います。その弁明も兼ねて。 小林や大江を取り扱った最初の目論見では、彼らへの個人攻撃を展開する積りはありません…

多元的物語論序説 福地桜痴『仙居の夢』を例に

昨日はPC不調で休んでしまいました。また多元的物語論の続きを。 主人公や視点人物がいっぱいいたって、結局目先がちょっと変わるだけで、平和主義とかデモクラシーとは何の関係もないんじゃないの?という疑問はあるかもしれません。私は大いにかかわると…

複数主人公型の物語論に向けて

院二病、とでもいうのでしょうか。静岡大学大学院修士課程のころ、既成の物語論や構造主義が妙に気に食わなかった時期がありまして。特にその単線的な主人公中心主義が。ロシアの魔法昔話ならともかく、近代日本文学がそんなんで解釈できるものかと(解釈で…

イーザー『虚構と想像力 :文学の人間学』(予定)

ウィキペディアでイーザーの項を検索したら、何やら面白そうな題名の本が出てきました。『行為としての読書』すらろくに完読していない私ですが、興味はひかれます。

上田秋成『春雨物語』より「海賊」

江戸時代の短編小説集『春雨物語』(1808)中の、文学的海賊の物語。 『土佐日記』で知られる紀貫之(きのつらゆき)が都に帰る途中、海賊と称する男が現れます。何がめあてかと思ったら、『古今集』の編集ぶりにさんざんけちをつけただけで帰っていきま…

大原則。

一般常識に反する説を発表する際には、まず提唱する側が具体的なデータを示す必要がある。これは学問の大原則です。 たとえば、「明治時代には民主主義や平和主義などなかった」という常識(むしろ俗説)は根強く広まっていまして。私の論文は引用文が多すぎ…

カラスが机に似ているのは…

類似点というやつは、どんなにかけはなれたものであっても、探そうと思えばいくらでも見つかるものなのです。 以下、カラスと机の類似点。「足がある」「人里にはたいていある」「カ行の音を含む」「音を出す」「宇宙空間では見かけない」… 何の話かというと…

嫉妬ではなく羨望

記念すべき単著の1ページ目で、「すげーなこれパンクだ」なんて書いてしまえる人を、私は尊敬します。そういう初心を忘れずにいきたいものです。

ああはなりたくない人

「ああなりたい人」は少なく、「ああはなりたくない人」は多いのが現実。 「ああはなりたくない人」も反面教師としては必要ですが、そういう人を見慣れてけちをつける癖がつくと、つい向上心を失ってしまうものです。 『ジョジョの奇妙な冒険』の冒頭にあり…

時代鑑

ドロボーに土地鑑があるように、文学研究者にも時代鑑とでもいうべきものがありまして。 長年やってきた明治20~30年代ならまだしも、古代中国春秋時代となると、その時代の空気というものが見当もつかないわけです。川を渡る途中の敵を攻撃しなかったり…

太い矢印

私は、文学研究とは太い直線の矢印であるべきだと思っています。 作者の描いた線をただなぞるのではなく、自分が誘導したい方向に向きを曲げるのでもなく。 作者が小説を書き終えた、ぎりぎりの地点を始点とする矢印。 次の始点はここです。 「誰の思想も大…

「犯人ってやつは独創的な芸術家だ。探偵はただ批評家であるのみだ」

チェスタートンの短編推理小説で、シリーズものの第一作「青玉の十字架」中の、検察官ヴァランタンの独白です(直木三十五訳、青空文庫より)。 その伝でいくと、文学研究者ってのはどのへんでしょうか。ワトソン役か、鑑識か、被害者か。

笑顔と「かわいさ」

一般的には、無表情な顔よりは笑った顔のほうがかわいく見えるものですが。 まんが日本昔ばなしのぼうや(あの龍に乗った子供)に関する限り、笑ってない顔の方がかわいく見えるように思います。 「かわいさ」とは根本的に、自分より小さい存在に向けられる…

憂き我を寂しがらせよ閑古鳥

俳句というジャンルは理解不能なのですが(国文学者のくせに)、私に理解できる唯一の俳句がこれです。本当に理解できているのかは定かではありませんが。 古本の山とか廃墟を生で見ると、妙にやる気が出てくる心理。

記憶力が落ちてきた…

らちもない愚痴ですみません。 昔はカタカナの地名人名を覚えるのが大好きで、おかげで世界史の点数だけは良かったものですが、最近はそれもだいぶ怪しくなってきました。 実はキリル文字を覚えようと思い、一覧表を印刷して手元に置いているのですが、Дから…

しゃんとしなければ。

何というか、最近いかに自分が怠惰になっていたか。やっと気づきました。

ヘーゲルか…

「すべて理想的なものは現実的であり…」の一節が、どういう文脈で出てきたかちょっと気になりまして。明日読んでみます。

オマージュなどしない

昨今の苦々しい風潮の一つに、「オマージュ」と称して先人のアイディアをなぞる、というものがあります。 無断盗用よりはずっとましなのですが、プロの創作者としては安易な行為だと思います。本当に過去の偉大な創作者に敬意を払うなら、表面ではなく、創作…

村井弦斎「大発明」

河内紀氏も紹介していた、村井弦斎の短編「大発明」。「庚寅新誌に連載(明治二十六年二月ー三月)された」とのことですが、同誌はたぶん明治新聞雑誌文庫あたりでないと閲覧できないので、ひとまず近代デジタルライブラリーで読める短編集『文車』(190…

前向きなメランコリー、もしくは「こわ悲しい」嗜好

なんというか、いま現在のような沈滞状態にあると、つい「怖い画像」とか「検索してはいけない言葉」だのを探してむなしく時間をつぶす悪癖がありまして。 そういうコンテンツに一定の需要があるということは、私と同じ嗜好の方も珍しくはないのでしょう。さ…

文学研究者にとっての幸不幸

文学研究者にとっての幸福とは、価値のある研究を産み出すこと。 不幸とは、価値のある研究を産み出せないこと。それにつきるようです。 出来れば、幸福の見本を示したいものです。

格付けされる文学のことなど

私が「平和主義小説」と認定した小説やその作者は、一般的な文学史ではなぜか「通俗的」というランクに格付けされていまして。それに対して書くべきことは大量にあるのですが、8月20日までにまとまるかが問題です。

ホッブズの夢問題

デカルトの『省察』に対してホッブズは16の反論を挙げたわけですが、その最後の反論は夢に関するものでした。デカルトの、「夢が生涯のそれ以外の活動のすべてとは記憶によって結合させられるということはけっしてない」という説への反論です。 ※ 私(引用…

素朴な物心二元論

小林秀雄ともデカルトとも無関係な話です。私の哲学的立場みたいなもんをつらつらと。 ・肉体(脳も含む)とは別に、自由意志というものはあると思う。 ・でも来世は信じない。脳がやられれば自由意志もなくなると思う。 ・動物とか機械でも、場合によっては…

シンポジウム 「虚構とは何か」

前回、「虚構」というキーワードを出し忘れました。罪ほろぼしにシンポジウムのお知らせを。 ※ 文学研究科公開シンポジウム 「虚構とは何か―ありそうでなさそうで、やっぱりあるものの形而上学」 中村靖子 「物語と虚構―フロイトのモーセ論」 戸田山和久 「…

遠回り

中国のレーダー照射。北朝鮮の核実験。シリアの内乱。そうした切実な問題をさしおいて、なにがデカルトの省察だ。そう思われる方も多いかもしれません。 われながら遠回りだとは思いますが、目的を見失っているわけではありません。目的とは、文学研究者の立…

カラーな文学

好きなだけ、文字に色がつけられる。ブログという媒体が学術論文より優れている点の一つです。 とはいうものの、明治文学研究ではあまり使い道はありません。 村井弦斎の「写真術」(『都新聞』 1894(明治27)年)は、色まで映る写真を日本人が発明す…

メランコリイ嗜好、もしくは松本清張作品の美と癒し

わざわざ研究会に行くほど、私は松本清張が好きなのか。今ではそうでもありませんが、一時期むさぼるように読んでいたのは確かです。 ゲーム業界に「鬱ゲー」(プレイヤーを憂鬱な気分にさせるゲーム)というジャンルがありますが、かつての私にとって清張は…

「記憶」ではなく「記録」に基づく議論を。

古新聞古雑誌をあさるしか能がないのかこいつは、という想定される批判に対して、あらかじめ弁明しておきます。 人間の記憶というものはあてにならないものです。かつて熱烈に原子力発電を支持していた大江健三郎が、まるでずっと前から反対派だったような顔…

野中哲照 「虚構とは何か―認知科学からの照射―」

早稲田大学国文学会『国文学研究』第百四十二集(平成16年3月)収録論文。こういうのを読みたかった、と感じさせてくれる論文です。 虚構はいかにして形成されるかという問題を、以下の3点をあげて論じています。 (1) 虚構とは視点の重層化である (…