核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

野中哲照 「虚構とは何か―認知科学からの照射―」

  早稲田大学国文学会『国文学研究』第百四十二集(平成16年3月)収録論文。こういうのを読みたかった、と感じさせてくれる論文です。
 虚構はいかにして形成されるかという問題を、以下の3点をあげて論じています。
 
 (1) 虚構とは視点の重層化である
 (2) 虚構とは合理性の付与である
 (3) 虚構とは典型化である
 
 「典型化」というのは人物の善玉悪玉化とか、戦闘力のインフレ(源為朝の弓が、後世の物語で三人張り→五人張り→七人張りと誇張されていく例)などのことです。この「典型化」の快感の具体例が実に明晰なので引用させていただきます。
 
    ※
 そもそも何のために情報は典型化されるのかを思い返してみると、典型という基本形をもとに、応用するためである。(略)応用のために基本(典型)が役立ったとき、われわれはこの上ない喜びを感じるように仕組まれている。つまり、典型を少しずらして役立たせうると快感を感じるようにインプットされているのである(略)
 TVの時代劇「水戸黄門」では、四十分もたつとそろそろ印籠が出てくる時間だということまで、われわれは知っている。マンネリズムといわれるが、前回とまったく同じ話の再放送ならば支持する視聴者はいない、基本形を遵守しながら、少しずらしてあるところがミソなのだ。視聴者は、既知の典型が役立つ瞬間を確認したいのである。
 (28ページ)
    ※
 
 「お約束」とか「天丼」とかいわれるギャグの面白さも、これで幾分かは説明がつきそうです。
 なぜ「幾分かは」なのかと言うと、快感をもたらすもう一つの要素、「少しずらす」部分、つまり意外性とか反典型化の面白さについて、同論文ではまだ説明しきれていないからです。批判しているのではなく、私なりに考えて結論を出したいと考えています。