三ツ野陽介「自由と物語 : 自由と決定論の物語的な両立について」論文より。
たとえば小説「運命の道」では、分岐点に立った主人公が、YではなくXの道を選択することである人生を歩むが、Yの道を選べば別の人生もあり得た、という形で自由意志が描かれています。ベルクソンはこうしたモデルを「時間の空間化」と呼んで批判します。
要約すると、彼がXの道を選択したのであれば、Yという選択などそもそもありえなかった。Xという「行動が人格全体を表現しているとき」「われわれは自由なのである」とベルクソンは述べます。
ちょっと腑に落ちないので、三ツ野論をもう少し読んでみます。