2017-01-01から1年間の記事一覧
とはいえ、今年は論文一本、新聞記事一本を発表し、私にしてはまずまずの一年でした。 来年はさらなる発展をめざします。
文豪にたとえるなら小杉天外。まだ風邪濃い風邪。
明日から気分一新で仕事にかかれそうです、
谷崎まわりのことは一週間ばかり放置することにします。
忙しくなる前に、「小さな王国」論に必要と思われる部分を引用しておきます。 ※ A商品x量=B商品y量 という方程式は、A商品x量は、B商品y量に等しい、ということを示している。いいかえると、A商品x量は、B商品y量に値するという関係を示してい…
一時的に忙しくなるため、ブログの更新は滞りがちになるかと思います。ご了承ください。
「消戦」から連想される語を並べてみましたが、それらのイメージを具体化する力は私にはありません。どなたか、完全非武装・非暴力の戦争阻止組織というアイディアを(とりあえずフィクション上でも)実現してくれないものでしょうか。ガンダムOOのソレス…
という言葉はないものかと検索してみましたが、私の想定していた意味での用例はないようです、「消火」と同じニュアンスでは。
眠れなくなりました。論文書くほど集中力は回復してないし。困ったものです。
文学にたとえると渋江抽斎でしょうか。最後まで飲み通せるかどうか。
本日のブログはお休みします。
1円=100銭なのに、1円紙幣=小銭100銭ではない不条理。 ※ 補助貨の払底はいよいよ激しく、もう一円紙幣で二十銭以下の買物は到底出来ず、両替屋へ行けば目玉の飛び出るような両替料を取られるという有様 (『中外商業』1917(大正6)年11月…
2018年2月号までお休みだそうです。
「ポテトチップスで100円は買えません」を理論武装できそうな書が見つかりました。 ※ マルクスの価値形態論は「単純な、個別的な、または偶然的な価値形態」から始まる。それは次のように簡単に表現される。 x量の商品A=y量の商品B、 または、 20…
ぶる速ーVIP様より。 http://burusoku-vip.com/article/454986886.html 作家を料理の味にたとえたのは村井弦斎の「文学魔界」ですが、コーヒーは予想外でした。これも批評の一形態でしょうか。
「小さな王国」にまつわる(あるいはまつわらないかもしれない)資料はまだあるのですが、今日はお休みします。 そもそも、反戦小説というわけでもないこの短編に私がなぜひかれたのか。当初は貨幣や権力についての原論めいたものが書けそうな気がしたわけで…
谷崎潤一郎の小学生時代、リアル「小さな王国」にての紙幣。 ※ 私たちは活字や印肉を持ち寄つて偕楽園の「源ちやん」の部屋に集り、金額に応じて大小種々の紙きれを作つて毎日紙幣を印刷した。(略)が、「公園の原つぱの上や、郊外の叢の中」へ「多勢寄り集…
※ 「のつさん」の本名は篠田源太郎と云ひ、「のつさん」の称はその「篠田さん」から来てゐるのであるが、私たちは皆彼のことを、一種の畏怖と敬愛の念を以て「のつさん(踊り字)」と呼んでゐた。 (略)後に私は此の少年をモデルにして「小さな王国」と云ふ…
※ 個人の自由を原則として成立した資本主義制度は、その確立とともに、組織化された経済力として人間を支配し、その考へ方を人工的に変化させ、人間を組織の奴隷とする危険が起つてゐたのである。そしてこの危険は、もつと新しい統制経済を行ふ共産主義社会…
1977(昭和52)年のCM。実は私は当時見たわけではなく、ドラえもんの「ドラやきで100円は買えません」とかいうセリフで知りました。 社名と直接リンク先は伏せますが、検索すれば出てくるはずです。 このあたりの機微が、今回の論文のキモになり…
「春宵対談」谷崎潤一郎、和辻哲郎、後藤末雄(司会)。 『塔』1949年(昭和24)5月。 ※ 後藤 バルザックみたいに社会組織の弊害とか社会悪というものを書いてみたいが、谷崎君は書く意志はない? 谷崎 僕はそういう意志はない。 (194ページ) ※ …
吉野作造の「小さな王国」論を、「今や社会主義とか共産主義といふ事は、理論ではない、一個の厳然たる事実である。」まで引用した後に。 ※ この前年の大正六年十月に、ロシアの十月革命が成立してゐたのである。 簡単に言へば、この作品は少年の世界に形を…
※ 大正7年(1918)5月、静岡県田方郡錦田村に錦田工場を建設し、原料用練乳および牛酪を製造していたが、つづいて練乳小缶森永ミルク(390グラム入り1缶50銭)を一般市場用として発売した。 (『森永乳業五十年史』森永乳業株式会社 1967 2…
「一滴」という表記があること、「牛乳」という語は別の場所で使われていることから、粉ミルクでも牛乳でもなくコンデンスミルクに限定して調査してみます。ミルクだけにしぼって。
『中央公論』『改造』に載る経済学者の論文への批判。 ※ 私はよく、中央公論や改造等の一流雑誌に経済学者の論文などが載つてゐるのを見かけますが、あゝ云ふものを読んで理解する読者が何人ゐるであらうかと、いつも疑問に打たれます。それもその筈、彼等の…
『中央公論』や『改造』に掲載された経済学者の文章を批判する一節があるとのこと。確認します。
「谷崎文学の底流」(『中央公論』1958(昭和33)年1月。出席者は谷崎潤一郎と伊藤整。 「吉野葛」の取材旅行の話題から転じて。 ※ 谷崎 今じゃとても行けませんよ、危なくて。 僕は、自分で申上げまして、一番毛色の変わっていると思うのは、「小さ…
「谷崎文学の神髄」(『臨時増刊文藝 谷崎潤一郎読本』1956(昭和31)年3月。 出席者は谷崎潤一郎・伊藤整・武田泰淳・三島由紀夫・十返肇。 「小さな王国」の材料について質問した伊藤整に対して。 ※ 谷崎 あれはこんど、「幼少時代」に書きましたけ…
「小さな王国」の掲載誌に、堺利彦らの売文社が関与していた件について。 ※ (引用者注 一九一七(大正六)年)九月にはアメリカから帰った急進的自由主義者の内藤民治(ないとうたみじ)が、当時の二大雑誌であった『太陽』と『中央公論』に対抗して『中外…
谷崎潤一郎が「小さな王国」を発表した当時の大蔵大臣、勝田主計の事績について。 1916年当時の中華民国では、軍閥の巨頭段祺瑞(だんきずい)が政権を握っていたわけですが、 ※ 寺内内閣が成立すると、朝鮮総督当時から寺内のもとに出入りしていた西原…