核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

勝田主計(しょうだかずえ)と西原借款(にしはらしゃっかん)

 谷崎潤一郎が「小さな王国」を発表した当時の大蔵大臣、勝田主計の事績について。
 1916年当時の中華民国では、軍閥の巨頭段祺瑞(だんきずい)が政権を握っていたわけですが、

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 寺内内閣が成立すると、朝鮮総督当時から寺内のもとに出入りしていた西原亀三(にしはらかめぞう)は、寺内やさきに朝鮮銀行総裁だった勝田主計(しょうだかずえ)蔵相の意をうけ、北京駐在武官の坂西利八郎(ばんざいりはちろう)とも連絡し、極秘のうちに段政権の交通総長の曹汝霖(そうじょりん)を相手に借款交渉をすすめた。段政権をてこ入れして、これを日本の思うままに動かそうとしたのである。
 (今井清一 『日本の歴史 23 大正デモクラシー中央公論社 1966 150ページ)
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 こうして日本から段政権に流れた資金は一億四千五百万円にのぼるとのこと。貝島先生の月給は四十五円。
 
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 西原借款は(略)段政権が南方の革命派を弾圧するための軍費に用いられるか、段政権の要人の私腹を肥やす結果になった。中国国民からは、日本がむやみに金を貸したため内戦が激化し、かえって国民の負担を増したと、怨みをかった。他方、日本には満蒙などでの利権を与えることが約束されたが、なにひとつ確実な担保はなかった。
 (略)
 これらの借款は、利子のごく小部分をのぞいては元金も利子もまったく回収できなかった。国民の税金や貯金が空しく消費され、三銀行の分はやがて政府が肩がわりして、公債として国民の負担となったのである。
 (同書 152~153ページ)
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 勝田ひとりの責任ではないにしても、愚行といっていいでしょう。後任の高橋是清が西原借款に反対したのもうなづけるところです。