核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

リチャード・J・スメサースト著『高橋是清』東洋経済新報社 2010

 「日本のケインズーその生涯と思想」との副題あり。鎮目雅人・早川大介・大貫摩里訳。
 松方正義とならぶ名大蔵大臣であり、平和主義者でもあった高橋是清の、アメリカ人による伝記です。
 絵師の庶子から足軽家の養子となり、留学先のサンフランシスコで強制労働者にされ(「奴隷」ではないとのことです)、ペルーまで出張しての銀山開発に失敗し、最期は二二六事件の凶弾に倒れ……と、波瀾の生涯です。 
 日露戦争期には軍費調達に奔走していましたが、一九一八年前後の言動はと言いますと、

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 一九一六年一二月には、日本経済が負担できる限度を超える軍部からの国防支出要求を批判している。その同じ論考の中で高橋は、外交政策が優先であり、軍事行動はこれに追随すべきであること、外交政策は軍事競争ではなく経済競争に基礎を置く平和的なものであるべきこと、そして、国防計画は国民経済の成長を阻害しないようにすべきことを提唱した。一九一八年には、西原借款について、日本が非合法な手段によって満州における特別な利権を手に入れようとしているとして批判し、一九二一年には、借款を利用して山東省や満州、モンゴルにおいて特別な利権を獲得しようとするすべての日本政府の企ては中止すべきである、と提言した。一九一七年から二二年にかけてのシベリア出兵にも反対した。
 (344ページ)
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 シベリア出兵に反対していたのはいいのですが、原敬内閣で高橋が大蔵大臣になったのは一九一八年九月。つまり「小さな王国」発表の一月後。同作品と結びつけるのは無理なようです。
 高橋の前任者、勝田主計(しょうだかずえ)と、悪名高き西原借款についてはいずれまた。