2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧
「核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ」という看板を掲げてきて、おろす積りはありませんが。 ここ最近(2019年)は、ハードウェアよりもソフトウェアからの反戦に関心が移っています。 芥川の「将軍」にも、確かに二八珊砲や軍刀の恐ろしさは描…
全集版との間に細かい異同はありますが、内容は大差ありません。「文学青年で登場しまして」は初出原文のままです。 ※ 芥川龍之介にも、乃木将軍を描いた「将軍」といふ作がある。これも、やはり大正十年頃発表され、当時なかなか評判を呼んだ作で、僕は、学…
花粉症かと思ったら、それだけではなかったようです。 今日は小林秀雄「歴史と文学」中の「将軍」評を扱う予定だったのですが、またにします。
宮本顕治「敗北の文学―芥川龍之介氏の文学について」(『改造』一九二九(昭和四)年八月号)より。 ※ 「将軍」は? この将軍は、惨めにも手痛く嘲笑され諷刺されてゐる。この「長者らしい」将軍の軍服を剥ぎ取りながら、作者は無智で残忍で打算的な将軍の裸…
サイト「図書出版 文学通信」様より転載。私は約二十年前に静岡大学での小森先生の集中講義を一度受けたきりで、東大とは無縁の人間ですが、小森先生の最終講義は気になります。他ならぬ戦争の時代と夏目漱石の関係を含め、同意できかねる点もありますが……。…
吉田精一『吉田精一著作集 第一巻 芥川龍之介 Ⅰ』(桜楓社 一九七九(昭和五四)年)より ※ 龍之介はこゝで当時の偶像破壊、英雄否定の風潮にもれず、人間性の自然さを価値評価の基準としている。戦争に対する自由主義見地からの批評、偽善に対する嫌悪が、…
斬って斬れないことはない、と思うんですよ。材料はけっこうありまして。 将軍の視線が「ほとんど処女のように、彼をはにかませるのに足る」だとか、あんな爺さんに手を握られちゃ嬉しくもねえなと言いつつ嬉しそうな兵卒とか。 かと思うと、下女との相撲や…
『浅草紅団』にこだわり続けている私には魅力的な学会発表ですが、たぶん行くのは経済的に無理です。論文化に期待ということで。 ※ 国際シンポジウム「〈帝国〉 日本をめぐる少女文化」(2019年3月8日金 10:00-17:00 、名古屋大学ジェンダー・リサーチ・ライ…
LivedoorNEWS様より。やり方には同意できませんが、犯人の意見にはまったく同意します。その情熱をぜひ、学術的にマルクスを否定する方向に向けてほしいものです。 http://news.livedoor.com/article/detail/16041436/ 管理団体によると、墓には赤いペンキで…
日本書紀によれば崇神天皇の代。春秋時代の中国にも、古代ギリシアにも、将軍に相当する職は存在しました。 国家の意志を体現し、国民を兵士化して戦わせる戦争遂行機関。 にも関わらず、将軍分析とでもいうべきものは余りにも少ないと思うのです。 芥川龍之…
たとえばひき逃げの被害者をいくら分析し、あるいは追悼しても、それだけではひき逃げはなくなりません。 ひき逃げをやった加害者をきちんと逮捕し、分析することなくして、ひき逃げ再発は予防できません。 戦争についても同じことが言えます。戦争の犠牲者…
将軍とは何か論から視線論に方向転換したわけですが、間をつなぐ理論が見つかれば、いい感じに連結できそうな気がしています。 たとえばバルトあたり、などというと、この間デリダを批判したばかりの癖にと言われそうですが、バルトはバルト、デリダはデリダ…
今となってはいかにも古いものですが、先行研究史中の数行として入手しておきました。 「将軍」以外の箇所も一通り読んでおきます。
まだまだ枚数に余裕があるので、詰め込めそうです。 まず写真理論や視線理論による補強。こういう時だけは、バルトやフーコーが読みたくなります。引用するかは別として。 そして、「将軍」の現代的意義。プロパガンダにならない程度に。作品に忠実に。 とは…
今書いている論文中に、「昭和は大正よりも暗い時代であった」云々との文章があったのですが。 あるお方の文章を拝読し、考えさせられました。天皇制と軍国主義を批判する論文で、元号による時代区分を使うのは安易ではないかと。 芥川の没年は一九二七(昭…
病院にも行かず将軍論を書き続けています。作品に足りない反戦要素を、私の反戦パワーで補う感じで。もしかしたら投稿できるかもという気がしてきました。 (2019・2・13追記 病院行って来ました。読み返すと少し思い上がっていたようです)
……というキーワードを思いついてから、ちょっとだけ書きやすくなりました、ベンヤミンでも読み返してみるかな。
ちょっと復調したので、書けるとこまでかいてみようと思います。完成度は気にせず、直しは後でやるとして。
昨日も今日も。体調全快せず。
昨日、本日とお休みします。
同書一二七~一二八ページ。「真面目と不真面目の区別などは存在しない、あるのは差異の戯れのみ」と語ってきたデリダが、自分への批判に対してだけは「真面目に」相手の「不誠実」を慨嘆している、というパラドクスを扱ったものです。 三浦氏はそれへの答え…
デリダを批判したら、訪問者数ががくっと減ってしまいました。お一人でも見て頂ける方がいる限りではこのブログを続けるつもりではいますが、少々考えさせられるところはありました。 もしかしたら、このブログ主は著名人をけなすのが趣味のあまのじゃくなの…
「おおわが友よ、一人も友がいない」 ……というアリストテレス(?)の言葉を延々と繰り返すばかりの、何の内容もない本でした。 「それはおまえがバカだからだろ。デリダ様の深遠な思想を理解できないのか」という反論はあるかもしれません。 しかし、私はギ…
おなじみのお二人による実験報告の最新版。言語処理学会 第24回年次大会 発表論文集 (2018年3月)。 といっても完結編ではなく、おそらくは2019年3月に新たな報告がなされるものと思います。 いよいよ物語自動生成ゲームによる実践。どうすれば「驚き…
2017年度日本認知科学会第34回大会とのこと。前回と同じお二人による、物語自動作成論の続きです。 今回は「ギャップと驚き」がテーマ。ありふれた物語の動詞や名詞を入れ替えてみたり、関連のなさそうな一行をはさんだりすることによって生じるギャップ値を…
検索したらでてきた論文。2016年度日本認知科学会第33回大会とのこと。 ttps://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2016/proceedings/pdf/JCSS2016_OS08-6.pdf#search=%27%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%81%A7%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%82%92%E7%94%9F%E6%8…
文学と反戦のブログに戻ると宣言しておいて何ですが、まんざら前者に関係のないこともありません。 CiNiiその他で検索してみると、物語の自動生成をまじめに研究なさっている方はいるものでして。一人でちまちまサイコロをふる代わりに、チームで映像と…
横光利一の『純粋小説論』に先立つ、芥川の偶然と小説論。 ※ 本当らしい小説とは単に事件の発展に偶然性の少ないばかりではない。恐らくは人生に於けるよりも偶然性の少ない小説である。 ※ ……逆に言うと、偶然の多い小説は嘘っぽいと。 ペテルブルグで別れた…