核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

小林秀雄「歴史と文学」(『改造』一九四一(昭和一六)年三月)中の「将軍」評

  全集版との間に細かい異同はありますが、内容は大差ありません。「文学青年で登場しまして」は初出原文のままです。

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 芥川龍之介にも、乃木将軍を描いた「将軍」といふ作がある。これも、やはり大正十年頃発表され、当時なかなか評判を呼んだ作で、僕は、学生時代読んで、大変面白かつた記憶があります。今度、序にそれを読み返してみたのだが、何の興味も起こらなかつた。どうして、こんなものが出来上がつて了つたのか、又、どうして二十年前の自分には、かういふものが面白く思はれたのか、僕は、そんな事を、あれこれと考えました。
 「将軍」の作者が、この作を書いた気持は、まあ簡単ではないと察せられますが、世人の考へてゐる英雄乃木といふものに対し、人間乃木を描いて抗議したいといふ気持は、明らかで、それは、作中、露骨に顔を出してゐる。(略)この種の解剖は、つまる処、乃木将軍の目方は何貫目あつたか、といふ事を詮議するのと大して変りない性質の仕事だから、さういふ事に、作者が技巧を凝せば凝すほど、作者の意に反して乃木将軍のポンチ絵の様なものが出来上る。最後に、これもポンチ絵染みた文学青年で登場しまして、こんな意味の事を言ふ。将軍の自殺した気持は、僕等新しい時代の者にもわからぬ事はない。併し、自殺する前に記念の写真を撮つたといふ様な事は、何の事かわからない。自分の友人も先日自殺したが、記念撮影をする余裕なぞありませんでしたよ。作者にしてみれば、これはまあ辛辣な皮肉とでもいふ積りなのでありませう。
 (二五二~二五三ページ 以下、乃木が旅順で六万人の死傷者を出したことを讃える文が続くが省略
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 腹立たしい評ですが、腹立たしいですませる訳にはいきません。それこそ、どうして、こんなもの(「歴史と文学」)が出来上がってしまったのかを考えなければ。
 なお、小林が「明らか」としている、「将軍」の作意が乃木への個人攻撃にあるという説は、今日では否定されつつあることもつけくわえておきます。