核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

篠崎美生子『弱い内面の陥穽 芥川龍之介から見た日本近代文学』翰林書房 二〇一七

 同書の六章の注45に、「将軍」にふれた箇所があります。

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 「将軍」(『文藝春秋』一九二五・一(引用者注 『改造』一九二二・一の誤り))には一六箇所の伏せ字があり、これについては「澄江堂雑記〔「将軍」〕」に「官憲は僕の「将軍」と云ふ小説に、何行も抹殺を施した。」との芥川のコメントがある。なお乃木希典への風刺を含むこの小説は、関口安義『芥川龍之介 闘いの生涯』(毎日新聞社、一九九二・七)ほか複数の研究者が「反戦小説」として評価している。ただし、一九二〇年代の言論・文学状況を広く見渡すなら、「将軍」にしろ「桃太郎」にしろ、安全地帯からの手ぬるい抵抗と言わねばなるまい。
 (三三九ページ)
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 ……いくつか問題のある注で、まず引用者注で書いた通り三年ずれています。揚げ足を取るつもりはまったくありませんが、そのために後段の「一九二〇年代の言論・文学状況」の内容がわかりにくくなっているのは困りものです。
 伏せ字を施した主体は「官憲」なのか、『改造』誌ではないのかという疑問もありますが、これは引用の中(つまり篠崎氏ではなく芥川の推測)ということで。
 「乃木希典への風刺」という読みは、関口論をはじめ複数の研究者によって否定されつつありますが、そこを取り上げたいわけでもなく。
 私がここで議論したいのは、最後の一行です。「手ぬるい抵抗」とまで言われると、何と比較なさっての上なのかという疑問が生じまして。
 もし『戦争に対する戦争』(一九二八)あたりを比較対象としているのであれば、それは違うと論じたいところです。これまでさんざん芥川への批判を書いておいて何ですが、「革命のための戦争なら賛成する」という黒島伝治のようなマルクス主義者に比べれば、戦争・暴力そのものを否定する芥川の反戦思想ははるかに筋が通っていると思います。
 ここから先は、自身の論文をもって答えていきたいと思います。篠崎氏の「手ぬるい抵抗」論には賛同できませんでしたが、考えるための材料(燃料?)を頂けたことには感謝しております。