#その他文学
ヤフオクに、鰭崎英朋という人の口絵がついた、『写真術』が出品されていました。 裏表紙(能面の絵)はカラーでした。色まで写る写真の発明を扱った同作品にふさわしい装丁です。 中の挿絵もカラーなのかは気になるところですが、落札価格は36100円。…
日本文学における電話を研究なさっている、黒田翔大氏の最新の論文。 しかも星新一。これは読むしかありません。 明治前期に書かれた遅塚麗水「電話機」と、昭和戦後のSF『声の網』との類似は前から気になっていました。星新一がマネしたということはあり…
この前に書いた「小さな王国」論は安富歩氏の貨幣論に大幅に依拠していたわけですが、その安富氏の最近の活躍ぶりを観るにつけ、当方もやる気がわいてきまして。 結論部を中心に書き直して再投稿してみようかと思います。 2019・8・7追記 別な論文に着…
このブログは開設当初から、小林秀雄の対米開戦論だの、大江健三郎の核開発賛成論だのをとりあげてきたため、露悪的と思われる方も多いと思います。その弁明も兼ねて。 小林や大江を取り扱った最初の目論見では、彼らへの個人攻撃を展開する積りはありません…
本文を推敲し、注もつけ終わりました。 二転三転どころか七転八倒の産物です。長かった。 どっと眠気が襲ってきました。ひと眠りしたらヤンガスでもやるか。
とりあえず原稿用紙換算30枚に達し、「と本論は結論する」まで書き終えました。 粗削り段階ですが、磨けばなんとかなりそうな気もします。
ジグソーパズルが進むと完成図がうっすら見えてくるように、そろそろ出来上がりとその限界が見えてきました。
どうも扇風機が涼しくないと思ったら、羽根を裏表逆にとりつけていたことに気づきました。とんまな話です。 組み立直して裏返したらちゃんと涼しくなったわけですが、応用できないものでしょうか。 書き足すたびに暑苦しくなるわが論文も、なんか裏返せば涼…
これまでの私は、どうも「将軍」を他人事として読んでいた気がしてきました。 白襷隊(決死隊)の兵卒や、処刑される捕虜の立場に感情移入してみると、また違った風景が見えてくるものです。研究者としては原始的に過ぎるかもしれませんが。 少なくとも、「…
集めた先行研究を年代順に整理したら、隙間らしきものが見えてきました。 「軍国主義への抵抗」として読めそうな気がします。
トドロフは福島の災害についても言及しているのですが、思っていたよりは平凡な意見でした。代わりにレンブラントの自画像観のほうを。 ※ レンブラントはおそらく世界でもっとも多く自分自身を描いた画家であろう(ピカソの場合を除いて)。 (略) レンブラ…
改元直後に発表された、殉死は非文明的であり、不忠不義でさえあるとの論説です。 じゃあ乃木希典の殉死も批判しているのかと思いきや、その翌月、九月一四日の「乃木大将夫婦共に自殺」の第一報はやけに好意的でした。迎合的です。 桐生悠々の『信濃毎日新…
ウィキペディアによると二〇一七にお亡くなりになったとか。惜しい話です。 そんなトドロフの厖大な著作の中から、これは読みたいと思った本を記しておきます。 ※ 『小説の記号学―文学と意味作用』(1967年) - 邦訳:1974年、大修館書店、菅野昭正・保苅瑞…
昨日はPC不調で休んでしまいました。また多元的物語論の続きを。 主人公や視点人物がいっぱいいたって、結局目先がちょっと変わるだけで、平和主義とかデモクラシーとは何の関係もないんじゃないの?という疑問はあるかもしれません。私は大いにかかわると…
院二病、とでもいうのでしょうか。静岡大学大学院修士課程のころ、既成の物語論や構造主義が妙に気に食わなかった時期がありまして。特にその単線的な主人公中心主義が。ロシアの魔法昔話ならともかく、近代日本文学がそんなんで解釈できるものかと(解釈で…
「ほだされる」という語をなんとなく使ってしまいましたが、「ほだす」という原型はあまりつかわないな。そう思って調べてみました。「絆」(きずな)という字で「絆す」。自由を束縛するという意味だそうです。 芥川の「将軍」に描かれているのは、まさにこ…
芥川龍之介「将軍」の手柄の一つは、軍国主義の優しい顔の面を描き出したことにある、と思います。 軍国主義というものはしばしば軍靴の響きとか、部下を殴る上官とか、反政府主義者を連行していく憲兵という風に、恐ろしい顔の面を強調されがちでして(実際…
検索しても、批評欲とか批評欲求とかいう言葉は出てきませんが、そうした欲動は存在すると思います。 やたら怖い夢を見た時の、無性に誰かに話したくなるあの気分(私もさっきのうたた寝で怖い夢を見たところですが、本題に関係ないので書かないでおきます)…
横光利一の「純粋小説には偶然が必要」という問題提起を受け止め、小説における偶然について論じた一冊。 私にとっても重要な問題です。「おわりに」から引用。 ※ 小説を読む時、読者は、現実世界にはとても起こりえないような事件でも、それを予想すること…
小林秀雄はいかにして「批評の神様」的存在となったのか。そのあたりを知りたくて読んでみたのですが、情報量の多さに圧倒され気味でした。場合によっては買って読む必要がありそうです。 とりあえず、最も示唆に富むと思われる一節をコピーしてきました。 ※…
今回いただいたコメントについて、いろいろ思うところがありまして。 そもそも、批評家が実作者より偉いという風潮とか、一部批評家が神様のようにように崇められる悪習はいかにして生じたのか。そのへんの問題意識に応えてくれそうな本が見つかりました。 …
『芸術の窓』二〇一五年八月。 自画像を「列席型」「変装型」「研究型」「独立型」の四つに分類し、デューラーらの自画像を最後に成立した「独立型」と位置付けています。 ※ 三浦 自画像をとにかく多く描いたのはレンブラントです。油彩、版画、デッサンも含…
「自画像は己を見つめる必要があるが、自撮り写真は己を見る必要すらない」といった感じで、「将軍」の乃木写真とレムブラント自画像の違いを論じたいところですが、どうもうまくいきません。
はたして水平目線はレンブラントの肖像画以降に特有と言い切っていいものか。気になったので、そのへんを扱ってそうな本を読んでみました。「第二章 視線、声、権力」という魅力的な題の章で。 ※ 芸術と社会に関するマルクス主義的見方には、回避すべき諸要…
各節ごとに、疑惑→反発→逸脱→対話と、抵抗の形態が深化していく過程として読めそうな気が。 何のことやらかも知れませんが、本人も今のところ何のことやらです。
菅原健史「矢野龍渓『経国美談』論―ジャーナリストはいかなるデモクラシーを描いたか」が、『社会文学』第49号(二〇一九年三月)に掲載されました。
以前、当ブログは漱石の「従軍行」を全文引用し、漱石が平和主義者ではなかったと論じました。 しかし一方、先日の小森先生の最終講義で、『三四郎』中に、同じ日露戦争を批判的に語っている箇所があることを知らされました。公正を期すために引用します。 ※…
私が静岡大学で受けた集中講義からは、ほぼ二十年ぶりになるわけですが。 小森先生は相変わらず、暖かく、ユーモアにあふれたお方でした。 戦争廃絶にかける志、受け継がせていただきます。
二転三転したあげく、芥川論の副題は「いかにして軍国主義に抵抗するか」にしてみました。 ベタといえばベタですが、ようやく作品と気が合ってきたようです。
「将軍」中にも言及されている、あの写真。 新聞に視線を落とす乃木と、正面をまっすぐ見据える夫人という構図。 乃木自身が指定した構図なのでしょうが、その意図を解読する必要がありそうです。 新聞がいつの何新聞なのかも気になるところですが、拡大して…